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【‘‘独創性からのAIと人類’’】

-生成AIと人における、出来ることと出来ないこと-

人とAIにおける出来ることと出来ないことの境界線は何かということについて考えることがありました。
近年は生成AIの進化に伴い、文章生成や画像生成、音楽生成など、創造力が求められるものも人間に代わりAIが行うことが出来る社会になったところが見受けられます。

ブルーカラー(肉体労働系)の仕事やホワイトカラー(頭脳労働系)の仕事の両立はAIにとっては容易く行えることができ、私たちの仕事は数年後にはAIに奪われてしまうのではないかという危機感を覚えることがあります。
ですが、高性能なAIであっても必ずしも、何でも仕事をこなせるわけではなく、人間にしか出来ないことは必ずあると思いますし、例えばAIに小説や音楽を作らせるということを考えてみて、その作られたAIが文学賞やレコード大賞などを狙って取れるのかと言えば、それは難しいのではないかと思われます。
小説を書く上での世界観の舞台設定、登場人物たちの相関図、物語の全体像を通しての人物たちのセリフ回しなど、AIに考えてもらえばそれは容易なことなのかもしれません。
ですが、小説や映画に見られる情感、微妙な間合いなど、機械がそこまで考えて人にしか作り出せないそうした繊細な意図すらも組み込ませることは機械には出来ないものなのではないかと思われます。
ジャーナリストの佐々木さんが動画内でも述べられていましたが、例えばKing Gnuの作る音楽を生成AIが完璧に真似て新しい曲を作れるのかと言えば、それは不可能に近いものだと思えます。
King Gnuの代表作である「カメレオン」や「硝子窓」「SPECIALZ」などは曲の独創性はもちろんMVなどもこだわりがあり、あのような歌詞とMVに見られる演出を組み合わせてAIは創造することは出来ないのではないかと考えさせられるものがあります。
『呪術廻戦』のオープニング曲として使われた「SPECIALZ」の歌詞には様々な言葉遊びが盛り込まれていて、渋谷事変の決行日や五条と夏油との関係性、そして曲調に見られる音のバリエーションなど作曲を手掛けた常田さんの音楽性はAIは越えられないと思います。
ですが、AIにも音楽は事実作り出せますし、文字入力によって、それっぽい雰囲気のある曲を作り、作詞の仕事を代わりをAIにやらせて、作曲を人自らが行うなどといった分担作業を行えば、AIと人との境界線は明確に見えてくるのではないかと思われます。
作詞と作曲の例は、逆の場合でもそうであり、AIに作曲を行わせて人が作詞を行うといった方法も取ることが出来るものだと応用は時と場合によっては有効だと考えられます。
創造性以前から、独創性というものは極めて重要なものがあり、独創性があるからこそ創造性が生まれ、AIにはそうした独創性の観点、能力値は人よりも劣るものがあるのではないかと思うことがありました。
AIと人間との‘‘出来ること’’と‘‘出来ないこと’’の境目は、しっかりとした考えと理論に基づき提示する必要があると感じました。

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