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【‘‘無謬性のドグマ’’】

無謬とは、間違いがないこと、誤りがないことを指す言葉なのだが、無謬性を持つことを意識していてもこの長い人生の中で何回も誤りをしてしまうことは当然のことのように思える。
何が正当なのか、異端なのかという議論よりもむしろ、正当や異端という定義を改めて考え直す必要性から始めなければ解決できる問題でもないと感じる。
本に記されたことも、映画の中の世界も、誰からかの忠告も、事柄全てが曖昧さがある。
曖昧なままに、理由や意味を求めてしまうから自分や他人さえも傷付けてしまうのだと思う。
無謬主義とはいうのは、自己破綻へと結び付く非常に危険な考えだと感じる。
誰しも、判断を見誤ることは当然のことながら、一定の認識を越えてしまうと、社会から抹消させられ孤立してしまう恐れも生まれる。
我々は、何故これほどまでに物事を考え過ぎてしまうのだろうか、それは人間の特質によるものなのかと考えることがある。
思考の枠組みから抜け出そうとしても、抜け出せないことは事実であるし、人を傷付けて、また人に傷付けられながらも生きていくことは本当に苦しいものだと感じることがある。
こうした無謬性の呪縛から離れる為にも、私は書くことで自己を問いながら、感情の流れに身を任せて、今この時だけを見ることにした。

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