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母になって、無敵ではなくなった話


先日こんなツイートをした。

子どもが小さいうち、とくに産後しばらくは赤ちゃんが無力すぎて、それを守らなければいけないというプレッシャーももちろんあるが、それに加えて自分の筋力や体力も落ちすぎて、その変化についていけないことがある。
例えば電動自転車に乗っていてフラついても支えられなくて尻餅をついてしまったり。電車で5キロかそこらの子どもの乗った、たった、合計10キロちょっとのベビーカーを降ろすのにもフラついてしまったりする。

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↑臨月、娘と散歩中

今まで極めて健康に生きてきて、身長も割と大きく、体力・筋力ともに不便に思うことがあまりなかった私にとって、これは大きな変化だった。
上記のツイートのような内容を夫に話すと、「まあ以前の君は、女子高生最強!的な無敵感あったからね。」と言われた。
そうなのだ。なんとなく、なんでもできる、みたいな根拠のない自信が多方面であったのだ。それが、通用しないことがとても増えた。

ツイートで言ったような、社会的弱者という表現が正しいのかわからないけれど、妊娠すればみるみるお腹は大きくなり、今までとは比べものにならないぐらい体は重く身動きがとりずらくなる。
妊娠中なぜか妙な強迫観念にかられて、今この街中で刃物を持った人がおそってきたり、電車を待っているホームで押されたら絶対に抵抗できない、こわい、という思いを抱いたりした。そもそも妊娠していなくても、そんな状況になったら逃げられないと思うのだけど、身重になっていることでその恐怖心が強まっていたのだ。

出産してからは、小さな小さな赤ちゃんと常に一緒だ。夫が出張で不在の夜、今もし窓から侵入者があったら、玄関から押し入ってきたら、どうやって子どもを守ればいいのか、とまた恐怖心をもち、夜な夜な対処法を考えたりした。


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↑上が4月に生まれた息子、下は今1歳の娘が生まれたばかりのとき

常に、というと大げさかもしれないけれど、心のどこかでいつも緊張しているような感覚で、リスクを考えたり、万が一、を考えることが増えた。

ただこれは必ずしも悪いことではない。いつも自分の力でどうにかできる、と思っていたけれど、できないことが増えて、誰も助けてくれないとどうしよう...と泣きたくなるようなこともある。でも、たまに助けてくれる人がいる。

例えば電車でベビーカーを持ってフラついていたら、手伝っておろしてくれる人。エレベーターがない場所でベビーカーをもって途方にくれていたら、階段を一緒にもって駆け上がってくれる人。ランチの約束をしたら、子どもがいるわけでもないのに、ベビーカーをつけられる席を予約してくれる友達。自分に子どもがいなかったとき、こういう行動ができたかな、と考えると、想像力のなかった私にはできなかったんじゃないかなと思う。

自分が社会的に守ってもらったり、手助けをしてもらうような立場になった今だからこそ、こういう行動に感謝できて、自分も他人に対して想像力をもった、思いやりのある行動をしていきたいなと思えるようになった。
まあ簡単に言えば精神的に子どもだった...ので、世の中の方々からすると当たり前のことなのかもしれないけれど、私にとっては子どもに成長させてもらったことの一つだな、と思う。

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