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【歌舞伎文化公園】團十郎ゆかりの品々を収めた歌舞伎文化資料館

はじめに

 歌舞伎文化公園はこれまでに、ふるさと会館の展望台、考古資料室を紹介しましたが、いよいよ最後は歌舞伎文化資料館を紹介いたします。
 こちらは、ふるさと会館とは別の建物になります。1994年(平成6年)に完成した歌舞伎文化公園より早く、1988年(昭和63年)の開館です。展示は、市川宗家より寄贈された品などを中心に團十郎や歌舞伎に関する資料を見ることができます。建物前はぼたん園になっており、その中に市川團十郎発祥之地の碑があります。

歌舞伎文化資料館

歌舞伎文化資料館

 歌舞伎や市川團十郎に関する品々を展示しているのが、歌舞伎文化資料館です。
 建物の前にぼたん園の中に、1984年(昭和59年)に建てた市川團十郎発祥之地の碑があります。ぼたん園の見頃は4月末のため、訪問時は猛暑ですっかり雑草に覆われていました。画像は見頃の時期のものです。

スロープのエントランス
「市川團十郎発祥之地」と書かれた碑 出典 :「山梨ガイド」
8月の日差しに照らされた市川團十郎発祥之地の碑
見頃のぼたん園と歌舞伎文化資料館 出典 : 富士の国やまなし観光ネット

 建物の側面には、大きな隈取りのパネル(景清、暫、助六)が配されています。また、助六と太夫揚巻の顔出しパネルがあります。

隈取りと顔出しパネル

 また、こちらにも外に13代目市川團十郎白猿と8代目市川新之助襲名の祝いボードがあります。襲名が決定してからずっと掲げられていたものです。

お祝いの掲示版

 ふるさと会館の展望台と考古資料館を見学してからこちらに来ましたので、受付で共通入場券を渡します。スリッパに履き替えて中に入ります。
 この資料館には約760点の写真や似顔絵、台本等が所蔵されています。撮影禁止と表示されていますが、尋ねると営利目的でなければ撮影は可能とのことでした。

エントランスロビーの概観

 12代目團十郎は歌舞伎の意匠を取り入れた展望台と多目的ホールを持つふるさと会館の設計に携わり、自らの襲名披露の千秋楽公演をこちらのホールで開くなどしたといいいます。また、多くの品々をこの資料館へ寄贈しています。

12代目團十郎のサイン色紙

 エントランスには市川團十郎と市川三郷町の関わりを書いた解説板があります。ただし町村合併により自治体名が変わり、團十郎の当代も変わり、実態に合わせるために、だいぶシールなどで直してあります。

直しの多い説明板

助六と隈取り

 職員が簡単に解説してくれます。展示室は両側に1部屋ずつあるほかにエントランスロビーにも写真などが展示されています。
 9代目團十郎の演じる歌舞伎十八番「しばらく」の鎌倉権五郎のパネルがある右手の展示室に先に入ります。

9代目團十郎の圧倒的な迫力

 この展示室は助六と隈取に関する展示が中心になっています。
 中に入ると歌舞伎十八番の「助六由縁江戸桜すけろくゆかりのえどざくら」の舞台の再現があります。助六は海老様こと11代目團十郎の姿で再現したものです。

中央に太夫の揚巻、左隣に助六

 こちらがご存じ助六です。着物や帯には市川家の三枡紋や杏葉牡丹が入っています。

11代團十郎の助六

 さらに、市川三郷町出身の日本画家のむら清六(1916年~1996年、大正5年~平成7年)の描いた11代目團十郎の助六があります。のむら清六からの寄贈で手紙が添えられています。

のむら清六《助六》

 歌舞伎といえば、顔に直接筆で線を引く隈取りです。これで役柄などが分かるといいます。初代市川團十郎により始められたとも言います。
 こちらは11代目團十郎の使用した鏡台です。市川宗家からの寄贈の品です。この鏡台で11代目は「隈を取った」のです。

11代目團十郎の鏡台

 また、その後ろにある隈取りを表したパネルは、9代目から請われて、7代目が絵を描き、8代目が文をしたためた「市川家秘伝隈取図巻」からパネルにしたのものです。

「市川家秘伝隈取図巻」より

 押隈おしくまや書画がケースの中にあります。押隈とは、歌舞伎役者が舞台が終わった後で布や和紙に顔を押し当てて隈取りを写し取ったものです。押隈は1舞台について1つしか取れませんので貴重な品と言われます。

押隈やゆかりの掛け軸が並ぶ

 11代目團十郎の助六の押隈と和歌です。和歌は裏千家家元14代千宗室(1893年~1964年、明治26年~昭和39年)の筆、市川宗家からの寄贈の品です。

11代目團十郎の助六の押隈と和歌

 市川三升(10代目團十郎)の筆による句と歌舞伎十八番「解脱」の隈取りを描いたものです。

市川三升の歌舞伎十八番「解脱」の隈取り

 中でも12代目のものは、團十郎襲名興行にて助六を演じた際に取られたものです。

12代目團十郎の助六の押隈

 ほかに、6代目、7代目に関する書画があります。
 左は、7代目團十郎(俳名白猿)が詠んだ句、中央は7代目が描いた自画像です。
 右は6代目團十郎の鏡獅子(鳥居忠雅画)

映像上映

 展示室の奥にある上映室の大型スクリーンで映像を見るように案内されます。

入口のカーテンが歌舞伎幕(定式幕)カラー

 映像は15分ほどのもので、かつては県内初の3D映像設備と誇ったようですが、通常の映像でした。地元のNHK甲府放送局が制作に協力してくれたものです。
 冒頭、12代目團十郎のあいさつがあります。

12代目の助六
12代目團十郎

 よくよく映像を見ていると実は歌舞伎やこの資料館の紹介ではなくて、町村合併後の市川三郷町の紹介映像でした。團十郎発祥の地である旧三珠町、和紙と花火の町の旧市川大門町、ハンコの町の旧六郷町の紹介なのです。

着物

 もうひとつの展示室は、歴代團十郎の紹介と、着物や舞台の台本が展示されています。

概観、壁側には寄贈された着物が並ぶ

 12代目が海老蔵時代に着用した、襦袢、着物、羽織が目を引きます。
襦袢には大きな海老が描かれていますが、絞りで入れた柄です。

12代目の襦袢、着物、羽織
羽織の紋の拡大

 隣は演目の1つ「菅原伝授手習鑑すがわらでんじゅてならいかがみ」で、團十郎が演じた松王丸の衣装です。

松王丸の衣装

 さらに隣は市川宗家着用の100年〜110年前の衣装です。「雪持の松」と言われるデザインのもので刺繍は全て手縫いだそうです。

「雪持の松」の着物

 さらには、12代目所蔵の太刀までありました。

12代目の太刀

 歌舞伎といえば、女形も特徴のひとつです。女役も男性の俳優が勤めるという女形の始まりは徳川幕府の女優禁止令によるもという歴史的経緯の解説とともに、女形役者のパネル展示があります。

女形役者のパネル展示

台本など

 中央のガラスケースな には江戸時代に使われていた歌舞伎や浄瑠璃の台本があります。「勧進帳」「太平記」などの表題が見てとれます。浄瑠璃は木版で刷って作られていますが、歌舞伎の台本は版刷りはしないと説明があります。

台本の入ったガラスケース

 下は江戸時代の忍者の衣装とあります。帷子の部分のようです。

台本と忍者の衣装

襲名披露時の配り物

 

十代目海老蔵襲名披露時の配り物の扇子

 11代目團十郎(9代目海老蔵)が描いた海老の日本画があります。また、11代目團十郎襲名時の配り物の楊枝入れがあります。

11代目團十郎の配り物の楊枝入れ
こちらにも扇子のほか、隈取りを表した額など

市川團十郎代々

 反対側の壁には、初代から12代まで團十郎を紹介するとともにゆかりの品などを展示しています。

團十郎代々

 右より、初代、二代、三代團十郎。

三代、二代、初代

 続いて、四代、五代、六代。

六代、五代、四代

 さらに続いて、七代、八代、九代。

九代、八代、七代

 さいごに十代、十一代、十二代です。この三方はこれまで述べたとおり、この團十郎発祥の地の確定について縁のある方々です。

十二代、十一代、十代

 10代目團十郎(市川三升)は、名取春仙の描いた市川三升の役者絵、写真は古文書、家系図などを高野家(笛吹市一宮町)に調査に訪れたときの写真で右が團十郎です。
 名取春仙については南アルプス市美術館(南アルプス市櫛形町)の前身が春仙美術館で地元出身の名取春仙の作品を多く収蔵しています。

10代目の展示

 11代目團十郎ゆかりの品として、襲名時の配りもの牡丹の扇子に、名取春仙の描いた役者絵です。

11代目の展示

 12代目ゆかりの品として、襲名時の配りものや牡丹の扇子などです。

12代目の展示

 代々の團十郎の詳細をまとめた配布資料をいただけますので、転記いたします。襲名したばかりの13代目まで網羅されています。

市川團十郎代々(1/4) 歌舞伎文化資料館配布資料
市川團十郎代々(2/4) 歌舞伎文化資料館配布資料
市川團十郎代々(3/4) 歌舞伎文化資料館配布資料
市川團十郎代々(4/4) 歌舞伎文化資料館配布資料

エントランスロビーの写真

 エントランスロビーには、旧三珠町との関わりを示す市川團十郎の写真が飾られています。
 市川團十郎発祥之地の碑の除幕式の様子があるます。昭和59年10月1日に市川宗家、團十郎顕彰会、知事、地元新聞社会長など100人が参列したとあります。

碑の除幕式の様子

 12代目團十郎(当時海老蔵)と幼少期の13代目團十郎、両手を広げているのは勧進帳の弁慶のように撰文を読み上げている姿です。

撰文を読み上げる姿

 市川團十郎発祥之地の碑の除幕式で記念撮影、碑の正面に13代目團十郎白猿、右に12代目、左に当時の山梨県知事です。

碑の前で記念撮影

 町制施行10周年式典(2015年ふるさと会館ホール)の時の様子などもあります。

 市川三郷町(旧市川大門町)の市川八幡神社を11代目團十郎と家族が訪れています。初代團十郎の曽祖父で堀越十郎家宣が産湯を浸かったと伝わる古井戸があります。また、堀越十郎家宣の出生地はこの西方だったとあります。

11代目團十郎と12代目團十郎

 市川團十郎のルーツを求めた市川三升(10代目團十郎)一行の写真です。近くの蹴裂神社に昭和28年木碑を建てました。

市川三升(10代目團十郎)一行

民俗資料館

 隣に1997年(平成9年)落成の旧三珠町の民俗資料館があるのですが、別途入館料100円で見学できる旨がありましたが、門は閉じたままでで、開けている様子はありません。

民俗資料館

財政非常事態

 この記事を書いていた9月15日に市川三郷町が「財政非常事態」を宣言するとの報道がありました。それによると「経常収支比率」が2021年度決算で全国ワースト11位の98.1%を記録し、昨年度決算でもさらに0.1ポイント上昇経常収支比率が悪化しているといいます。この数字は、財源のうち、固定費として支出する経費の割合がほぼ100%で、全く余裕がない財政状態を意味します。このままいくと行政サービスの維持も困難になるといいます。
 苦しい懐具合のためが、本年、市川三郷町は歌舞伎文化公園を含む町内11施設の命名権を募集したそうですが、8月時点での応募企業はゼロでした。金額は施設の規模により最低100万円と最低50万円だそうで、地元企業でさえ金額に見合うと思われなかったのでしょう。町職員の感覚にズレがあるように思えてなりません。
 町には大門碑林公園という、これまた中国の書のファン以外には来館はきびしい大型施設があるのですが、厳しい言い方ですが、バブル時代に旧町ごとの作ってしまった大型施設のツケと前町長の在任期間の長さなとが背景にあるように思えてなりません。

おわりに

 3回に渡り、歌舞伎文化公園の施設と展示を紹介してきました。初代團十郎に繋がる発祥地としてほかに見ないスタイルの公園と施設です。市川三郷町の財政状況の問題がありますが、12代目團十郎の意思を無駄にしないように今後も運営されることを願うものです。


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