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【笛吹市春日居郷土館】「わが町の八月十五日展~戦時下の日々~」を見に行く

はじめに

 笛吹市春日居郷土館・小川正子記念館では、毎年夏に行われる恒例の展示として「わが町の八月十五日展」があります。町村合併前の春日居町の時代から続くもので、市内の戦没者の遺影や寄贈された遺品を展示するものです。

春日居郷土館・小川正子記念館

わが町の八月十五日展

 26回目となる本年は「わが町の八月十五日展~戦時下の日々~」(2023.7.12~8.28)として開催されています。遺影と寄贈された遺品の展示は例年ともほとんど変わりませんが、毎年変わるテーマ展示があります。そちらはその年だけの展示資料となります。昨年は学校日誌では8月15日をどう記録していたか紹介しておりましたが、本年は、行政文書から戦時下の日常に迫るという内容です。

 昨年の様子と春日居郷土館については、拙稿をご覧ください。

昨年の様子と行政文書を載せたチラシ

 ちなみに「わが町の八月十五日展」の展示期間は、併設の小川正子記念館も含め入館が無料になります。
 受付は年配の男性職員が対応しておられました。無料期間ということもあり、配布資料を取るよう指示するのみで、特に案内も説明もありません。
 エントランスロビーにも展示があります。こちらは出征時の寄せ書きです。

出征時の日章旗の寄せ書き

 こちらは、沈没した沖縄からの学童疎開船、対馬丸と武州丸の模型です。大きい舟が対馬丸です。

対馬丸と武州丸の模型

 展示室に入ります。壁一面に市内の戦没者の遺影は合併前の旧町村ごとに1128人が展示されています。また市内の遺族より寄贈された遺品がケースに展示されています。

入口より展示室の概観
入口より展示室の概観

 引き揚げの為に作ったリュックサックです。盗難に会わぬよう工夫がある旨を解説しています。

 千人針です。千人針は、出征する身近な人にお守りとして持たせるために1000人の女性に頼んで1針ずつ「玉留め」を作ってもらったものです。特に寅年生まれの女性が喜ばれたそうです。

千人針

 水筒、飯ごう、軍靴、軍隊手帳などです。

兵役などで使われた用具

 奥にも遺影や遺品の展示が続きます。

奥の遺影と遺品の展示

 短歌をしたためた書が2幅あります。

「ようやくに おもいかないて 沖縄の 甲斐の塔にて しばしたたずむ」

「水清きうみべに立てば むねせまり 呼べどかへらぬ なき人の名を」

明子作 昭一書

 作者の明子の夫は硫黄島上空で戦死しました。戦後、夫の弟の昭一と再婚します。(明子は平成10年に病気のため亡くなりました。)
 明子が前夫への思いを詠んで、現夫で弟の昭一氏が書にしたためたもので、3人の絆を表した書といえます。

短歌 明子作 昭一書

 入口に近いところの展示品ですが、シベリア抑留され帰国されたから寄贈された作業着上下とコートです。

作業着上下とコート

 97式自砲弾薬箱と獣医行李、合羽です。獣医行李を寄贈された方は陸軍で軍馬の医師として働いていたそうです。

97式自砲弾薬箱と獣医行李
合羽

 ここまでは、例年と変わっていません。プラスアルファの部分が今年は行政文書の公開です。

戦時下の日々(行政文書)

 今回展示されている戦時下の行政文書は、旧岡部村役場から村内の徳条区や区長に宛てて通知されたものです。
 岡部村は昭和の町村合併、平成の町村合併を経て現在の笛吹市春日居町の一部になっています。
 まず現存する徳条区の行政文書の一覧表があります。55点のうち太字で示されている12点が展示されている文書です。
 撮影した一覧表の番号と下記の画像のキャプションの番号が対応します。

徳条区の行政文書一覧表

 行政文書は5つのケースに内容別に数点ずつ展示されています。

行政文書を展示するコーナーの概観

 まず一番手前のケースは、徳条区民に対して行事に関する通知です。

行事に関する行政文書

 ケース上は、供出する梅干しの量が倍になったので準備する旨の通知とともに山本五十六元帥の国葬に対する通知です。梅干しを家庭から供出していたこと、さらには国葬の通知を一緒にするあたりなんとも不釣り合いな伝達文書です。

39 昭和十八年度軍需供出梅干に関する件
故山本元帥国葬日に於ける国民服喪心得に関する件 (昭和18年6月4日)

 続いては下は、決戦に邁進するために「銃後奉国民総進軍大会」を開催する旨の通知です。

22 銃後奉国民総進軍大会出席方の件 (昭和17年1月9日)

 2つ目のケースは、徴兵出征に関する文書です。

徴兵出征に関する行政文書

 ケース左は、区長に宛てた徴兵検査実施の案内状です。近くの山梨岡神社で徴兵検査を実施するため参列するよう伝えるものです。

37 徴兵検査案内状(昭和18年4月7日)

 続いて右は、岡部村より5人の学徒が出陣るので壮行会を開催するとの案内です。

42 応召軍人歓送の件(昭和18年11月29日)

 3つ目のケースは、区民に貯蓄を促す文書です。

貯蓄を促すの行政文書

 ケース左は、「岡部国民貯蓄組合規約(案) 」で、昭和13年に始まった国民貯蓄運動により岡部村でも国民貯蓄組合を結成する旨と規約案です。
 続いて中央は、「「貯蓄奉国の家」門標 普及運動実施に関する件」で、貯蓄に取り組んでいる家には「貯蓄奉国の家」という看板を門に設置するよう交付するというものです。
 さらに右は、「サイパン島全員戦死報復「航空機増強貯蓄」貯当券消化に関する件御依頼」で、航空機増備費用として徳条区に貯蓄券160円分が割り当てられ指定日までに納金するように依頼する内容です。

左より 7 岡部国民貯蓄組合規約(案) (昭和13年)
14 「貯蓄奉国の家」門標 普及運動実施に関する件(昭和15年10月31日)
46 サイパン島全員戦死報復「航空機増強貯蓄」貯当券消化に関する件御依頼(昭和19年8月3日)

 4つめのケースは配給と金属供出に関する文書です。

配給と金属供出の行政文書

 ケース上は、生活必需品を購入するための通帳を配布するようにとの通知です。

34 生活必需品購入通帳交付方に付御依頼(昭和18年1月)

 続いて左は、盂蘭盆うらぼん用清酒の特別配給とあります。盂蘭盆とはお盆のことです。お盆を前に清酒を特別に1軒あたり5合を配給するので期間内に購入するようにとの通知です。配給も盆の特別枠があり、昭和17年とのことで戦況からまだ余裕が伺えます。

31 盂蘭盆用清酒特別配給に関する件(昭和17年7月23日)

 さらに右は、金属供出に関して特別回収の協議会を開催するとの通知です。

38 金属特別回収協議会開催の件(昭和18年1月16日)

 5つめ最後のケースは空襲に備えることに関する文書になります。

電球3点と空襲に関する文書

 ケースの中の周囲が黒い電球は、灯火管制用電球と呼ばれ、空襲の標的とされぬよう家の外に明かり広がらないための電球です。こちらは寄贈品です。

灯火管制用電球

 続いてケース左の、文書は甲府空襲(1945.7.7)の翌日に出されたもので、防空対策の徹底を促す通知です。

51 防空徹底に関する件(昭和20年7月8日)

 さらに右は、本土空襲が始まり、白壁は目立つため黒く塗りなおすように指示した文書です。笛吹市内にはこうした指示に従ったのでしょう。黒く塗った壁が残るところもまだあると聞いたことがあります。

50 白壁偽装方促進に関する御依頼(昭和20年6月21日)

家族の戦後

 また、別室では「家族の戦後」として旧春日居町時代に父や夫を戦争で亡くした家族の戦後を聞き取り、文章に起こしてパネル展示しています。こちらも例年からの展示です。笛吹市となり19年です。そろそろ新たな聞き取りを笛吹市として行ってもいいのではないでしょうか。

会場の概観
パネルとエピソードが並びます

 また「特攻整備兵98名の血判状」が額に入って展示されています。説明によれば、ポツダム宣言を受け入れて全面降伏したものの、神奈川県厚木基地の海軍三〇二航空隊が徹底抗戦を全国に促す事件がありました。それに呼応した厚木基地内で航空機の整備を学んでいた16歳から17歳の練習生98名が署名し血判したものです。

九十八名の血判状

折り鶴プロジェクト

 春日居中学校の生徒会による折り鶴プロジェクトが行われています。これは折り鶴を並べて大きな文字を作って生徒の思いを表現するものです。
 折り紙にメッセージを書いて、折り鶴を折って回収箱に入れます。筆者も数枚ですが、ここで折って協力してまいりました。

昨年のプロジェクト完成品を展示中

土偶4点のみの落胆

 考古ファンの方から、訪れても落胆される方がほかにもいるのでは、とお聞きしているので再び指摘します。
 春日居郷土館に考古資料に関する常設展示はありません。考古資料は「八月十五日展」「津田青楓展」などと同様に企画展として扱われます。
 ただし日本遺産「星降る中部高地の縄文世界」の「三十三番土偶札所巡り」の対象になっているため、ご朱印はに関する土偶など4点のみを受付カウンターの隣に展示しています。昨年はそれでも深鉢形土器なども数点展示されていたのですが、今年は本当に土偶4点のみです。

左より「みさかっぱ」「ヤッホー」「肩こり土偶」「妊婦土偶」

 笛吹市は、古代から中世にかけて甲斐国の政治・文化の中心として大きな役割を果たしたことにちなみ「甲斐国千年の都、笛吹市」とうたっていますが、中心的博物館がこれでいいのでしょうか。

行政番組配信より  出典 : 笛吹市HP

 2025年度までに笛吹市一宮町の青楓美術館をこの建物に統合する計画が公表されています。考古資料ですら常設展示することがないのに、美術品まで集めて展示することはますます困難なことと思います。周囲に大幅な増床も出来そうにないです。
 市内には八代郷土館という古い地方銀行を営んだ古民家がありますが、事前予約のうえで火曜と金曜の午前のみの開館となっており、学校関係以外では見学は難しい状況です。そうした状況から収集した民具などは活用もされずにいます。
 郷土資料館としては映像として記録の収集することが喫緊の課題であるそうです。しかし具体的に進んではいません。
 そうした状況や課題があるのであれば、美術館は美術館として存続させて、こちらは郷土資料館として文化財や貴重な記録などの収集管理に注力するほうが笛吹市において歴史と文化を守ることになるのではないでしょうか。

おわりに

 「八月十五日展」は町村合併しても意義深い展示を続けている好例だと思います。同じ遺品を展示するのは仕方ないにせよ、そのぶん年ごとにテーマ展示を加えるなどの工夫があります。良い点は継続し、改善すべきは改善していくことを願います。

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