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【尾県郷土資料館】旧尾県学校、ロケ地にもなった東部地域の擬洋風建築

はじめに

 尾県郷土資料館は都留市に所在する明治時代の学校建築です。
 山梨で学校建築に多く採用されていた藤村式と呼ばれる擬洋風建築ですが東部地域(郡内地域)に残るのはこの建物だけです。
 尾県学校として建てられた建物は、都留市により1973年(昭和48年)復元され尾県郷土資料館として公開されました。今でも地域の協力会のもと大切に守られている建築物です。

道から一段高いところに公園のようにある

虹の村診療所

 この建物は、テレビ朝日系のドラマ「にじいろカルテ」(2021年1月~3月)のロケ先としてドラマ放映後は来館者でたいへんに賑わっていました。現在は静けさを取り戻しています。劇中の診療所に使用した小道具や、出演者のサイン色紙なども展示室で見られます。

虹の村診療所とまそらさん 出典 : テレビ朝日

 残念ながら、主人公まそら(高畑充希)が乗っていたブランコは老朽化のために撤去されていました。嘱託の館長さんのお話によれば、新しいブランコを再設置する計画はあるものの現在の安全基準では同じスペースには設置できないので困っているそうです。

ジャングルジムの隣がブランコのあった場所

藤村式建築

 拙稿「藤村記念館」にて紹介しておりますが、藤村式建築について簡単におさらいしておきます。

 藤村式建築は、明治時代初期の県令(現在の知事に相当)である藤村紫朗(1845年~1908年・弘化2年~明治41年)に由来します。藤村は擬洋風の校舎を作るよう推奨しました。藤村が進めた擬洋風の学校建築は共通の特徴を持つことから現在では「藤村式建築」とは呼ばれています。現存している藤村式建築の建物は5棟のみです。
 さて藤村式建築の特徴ですが、建物全体の形は、左右対称の2階建てで1階中央に入り口と2階部分にパルコニーがあります。また屋根の上に突き出た太鼓楼という塔部分があります。また上空からみると建物は正方形の形をしてます。こうした姿から「インク壺」とも言われていました。
 この尾県郷土資料館も、これらの特徴をすべて備えています。ただし、曲線アーチ状のデザインはの他の藤村式建築とやや印象が異なります。太鼓楼にポールを持つ姿は「ネギ坊主」と呼ばれていました。

ネギ坊主の後ろは建物裏にある避雷針
美しいアーチ状のバルコニー
看板のかかる入り口
木造の円柱と黒漆喰で再現した石積み
バルコニーの天井は菱形の透かし天井
細い円柱が前面のバルコニーを支えています
裏側はシンプルに鎧戸が並びます

尾県学校

 この疑洋風の建物は、尾県学校の建物として、1878年(明治11年)に完成しました。 
 尾県学校は、1873年(明治6年)谷村学校の小形山分校として設置され、民家を仮校舎としていました。明治10年に谷村学校から独立し尾県学校となります。そして翌年、疑洋風の校舎が完成します。
 この小形山は150戸余りの村でした。建築費用の1200円は住民の寄付などでまかなったといいます。建物は稲村神社の隣にありますが、神社から学校用地として土地の一部を払い下げてもらったものです。そして、住民たちで木材を切り出すなどして建設したといいます。とにかく独立した学校の建設は村をあげての一大工事でした。
 その後は、明治14年に尾県小学校、明治25年に尾県尋常小学校となり、1941年(昭和16年)禾生かせい尋常高等小学校(現禾生第二小学校)として統合され廃校となりました。
 ところで、小形山村だったのに学校は「尾県」としたのか。「小さい」という字を嫌って充て字にしたのだそうです。さらに館長さんによれば、「県」は山形有朋から取っているのではないかと独自の推測をされています。

尾県郷土資料館

 廃校となった後も建物は集会所などとして利用されながら、地域で大切に守られてきました。復元工事を経て1973年(昭和48年)、尾県郷土資料館となりました。
 1975年(昭和50年)には県の有形文化財に指定されています。
 1986年(昭和61年)には展示内容を教育資料に変更して現在に至ります。
 この地域にお住まいで嘱託の館長が、見学者に説明をしてくださいます。ご年配ですが地域の歴史にたいへん詳しい方です。
 また、尾県郷土資料館協力会があり、庭の手入れや秋には「資料館まつり」を開催するなど(2020年、2021年は中止)、地域の住民が大きく関わっています。
 山梨県内で配布されているフリーペーパー『晴耕雨読』34号(最新号)の表紙にもなっています。撮影は10月頃で十五夜草と呼ばれる紫苑の花が咲いてます。

『晴耕雨読』34号 モデルは甲府出身の高瀬真奈さん
受付のある入口

館内は、明治時代の教員室、教室、裁縫室が復元されているほか、明治から昭和までの教育に関する資料が展示されています。

現在の室内のレイアウト

 学校時代の写真がありました。昭和初期の姿です。屋根は板葺き、外壁は板張りになっていたようです。隣に校庭がありましたが、いまは住宅と畑になっています。

昭和初期、尾県尋常小学校の姿

一階展示室と教室

 受付のある玄関から正面へ進むと1階には、教科書、雑誌に関する展示があります。
 広い室内の半分は仕切られて、明治時代の教室が再現されています。先生のマネキンと着物を着た男の子女の子のマネキンが修身の教科書を見ています。

教室の再現

 学校は複式学級で、開校当初は4年制で2学級で2階に教室を設けていました。明治40年からは6年制で3学級となり1階にも教室を設けました。
 館長さんによれば男の子が教室で学帽をかぶったままではおかしいと指摘するお客様がたまにおられるそうで、実はマネキンがいたずらをされてアタマの毛がむしられてしまっているので帽子をかぶらせているとか。

根津ピアノ

 こちらの資料館にも根津ピアノがあります。根津ピアノとは山梨市出身で「鉄道王」と呼ばれた実業家根津嘉一郎が山梨県内の全小学校にピアノやミシンを寄贈したもので、このピアノもそのうちの一台です。自由に演奏してよいとのこと。このピアノは都内から見学に来た調律師が物置に眠る根津ピアノの存在を聞いて、無報酬で何回と通い修理していただいて復活しています。
 「資料館まつり」では、演奏家を招いてこのピアノでコンサートも開かれたといいます。

寄贈した根津嘉一郎の名前があります

教員室

 玄関に戻り、左にある小部屋は、明治期の教員室を再現しています。右にある小部屋は館長のいる事務室のため入れませんる

かつての教員室

二階展示室

 二階へは急な階段を上ります。手すりがないので大変上りにくいです。つかまるための虎色ロープがあります。
 二階の展示室も広く教科書、その他の文具、玩具があります。展示資料の撮影は出来ないため概観のみ撮影しました。

教科書など戦前の教育資料があります
カーペット敷で昔の玩具で遊ぶこともできます

裁縫室と奉安室

 バルコニーの両側にある小部屋は裁縫室と奉安室です。さらに上階への階段はありますが、立ち入りはできません。

裁縫室入口と上階へ上がる階段

 裁縫室ですが、この部屋のみ畳敷きになっています。裁縫を習うため畳敷きの部屋が必要だったのでしょうか。

裁縫室

 奉安室として使われていた部屋ですが、現在は甲斐絹や郡内織物の産地のため繊維関係の展示をしています。

繊維関係の展示ケース

バルコニー

 バルコニーに出ると正面の遊具広場がよく見えます。左には神社、右にはかつて運動場だった民家と畑が見えます。

バルコニーからの景色

 天井からチャイムの代わりの太鼓が吊るしてあります。なぜかこちらでは太鼓楼にではなく、バルコニーに太鼓があります。

下から太鼓を望む

小形山の大欅

 稲村神社の境内に小形山の大欅という巨木がありました。幹の太さは子供13人が手をつなぐ太さがあり、県の天然記念物に指定されていました。しかし、木の寿命が尽きて、1962年(昭和37年)伐採されました。現在は記念碑と資料館に当時の写真が残っています。

大人が並んでもこの太さ
神社境内にある「小形山大欅記念碑」

リニア実験線と見学センター

 小形山地域にはリニアモーターカーの実験線が通っています。資料館の前から山梨県立リニア見学センターやJR東海の実験センターの建物が見えます。また、実験線のガイドウェーとトンネルが見えます。計画では2027年に品川―名古屋で開業するリニア中央新幹線の営業線になります。

資料館の前の道から、中腹の白い建物が実験センター
実験線のガイドウェー

おわりに

 尾県郷土資料館は、リ二ア実験線のお膝元で、静かに地域で守られてきた建築でした。
 今回の記事をもって、5棟すべての藤村式建築の訪問を終えました。よく見ると共通の特徴を押さえながらもデザインはそれぞれ個性を持っていました。また、現在まで建物が残された経緯もそれぞれの歴史がありました。この先も大切に地域の建築物として大切に守られることを願いします。

 他の藤村式建築もご覧ください。

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