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「忘却」と「進化」に折り合いをつける

長野は八ヶ岳、野辺山にある秘密基地にきている。
子どもの頃は毎年遊びに来ていたけれど、大人になってからは来る頻度も低くなっていて、2年ぶりに来たかもしれない。

ダイナミックな八ヶ岳の麓、ただただ自然だけが広がっている。
到着して車を降りた瞬間、思わず深呼吸をして吸い込んだ緑のにおい。雨上がりの湿った土のにおい。最高だ。
「自然を愛でる」っていうことばがあるけれど、自然は“嗅ぐ”ものなんだと思った。

東京、特に都会にいると、あんまり良いにおいがしない。排気ガスのにおいや飲食店のにおい、雨の夜にはドブのにおい。全部不快なにおいだから、自然と呼吸が浅くなる。早朝のパン屋さんのにおいは好きだけど。

今朝は早起きして、基地の近所を散歩した。
一周3分で回れる小さな池のまわりをぐるり。
明るくなりはじめた青空に、月が浮かんでいる。
早起き者の特権。最高だ。
70'sのカントリーソングを聴きながらお散歩。自然と70’s。サイコー。

緑から黄色に色づきはじめている草木や、八ヶ岳にかかる大きな雲、それらを映し出す水面を見て、印象派の絵画みたいだなぁと思う。いや、でも本物はこっちだよな。それぐらい自然が非日常になっているのか。

東京での日常には自然がない。毎朝246沿いをチャリで疾走して、喫茶店でMacbookと向き合う日々。
暗くなった帰り道で排気ガスを吸い込みながら、星の見えない空の下で眠りにつく。東京にも自然はある。近所に世田谷公園もあるし、代々木公園だってあるし。意識してそこに行ってないだけだ。そういう余裕が持てていなかったなぁと反省。

自然の多い地方移住にも憧れるけど、現実的にハードル高い。東京には東京の良さもあるからね。本気で二拠点生活を検討してもいいかもなぁと考える。

人間はもともと自然のなかで生きてきたのに、いつからか自然が非日常になってしまっているんだなぁ。当たり前すぎて考えもしないけど。キャンプは非日常体験として流行っているし、グランピングなんてプリクラのフレーム的になっている。

自然もそうだし、昔からの文化や慣習が消えてしまうことにいつもさみしさを覚える。テクノロジーの進化には大賛成なんだけど。進化の裏にある忘却についつい目を向けてしまう。お祭り、銭湯、商店街、タバコの煙が漂う喫茶店。日々の中で忘却の渦に飲み込まれそうなものはたくさんあるんだよな。

そういうものに執着しすぎても意味がないのだけど、忘却と進化にうまく折り合いをつけて暮らしていきたいなぁ。


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