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一つだけ選ぶ

「マニアックすぎる」

 昨年の五月、アップした最新の記事について、友人から言われた言葉は魚の骨のように未だに引っかかっている。

 プラド美術館展に寄せたコラム記事だった。

 前年から、その展覧会について、「何としても書きたい」と願い続け、やっとの思いで取った。

 その分、肩に力が入りすぎてしまったか。

 また、書き出して見ると意外とやりにくいテーマだったというのもあったか。

「あれもこれも」と、情報を詰め込んでいるうちに、そして、それらの情報の正確性をチェックしているうちに、焦点がぼやけかかっていた自覚は自分としてもあった。

「結局、私はこの記事の中で何を言いたいのか」

 それが、はっきりと言えない。

 その時点で、「まずい」と思うべきだったのだ。

 特にそれ以来、私にとって、執筆は、数十メートルの高さの綱渡りに似た物となった。

 話が脱線して、ありもしない足場へと進んでいないか。

 あれもこれもと、情報を抱え込んで、動けなくなってしまうこともある。むりやり大荷物を抱えたまま、それらを落とさないように渡り切ってしまおうと、そろそろとしかし、半ば意固地になって先へと進む。

 特にこの荷物の「抱えすぎ」は、悪い癖の一つだ。いい加減な情報を書くわけにはいかない。だが、何でもかんでも抱えれば良いものでもない。

「絶対に落してはいけないもの」を一つ選ぶ。

 それを意識するのが良いのかもしれない、と最近は思う。

 では、何を持っていく?

 「これだ!」とすぐに選び出せればまだ良い。

 だが、大抵は迷うのではないか。雑草のように生い茂った、あらゆる情報から、一本だけ花を選び出す。

 一発で「あたり」を引ける確率は低い。となると、とにかく比較検討ということになる。

「主役」は一つだけだ。そして、それにぶつける「ライバル」役を加えるのがせいぜい。

 となると、役決めはやはりオーディションが良い。

 とにかくネタとして使えそうなものを、書き出してみて、その中から一つだけ選んで、後は潔く捨ててしまうくらいのつもりで。余計な枝やつぼみを落とすように。

 あとは、それを日々の中でどのくらい実践できるだろう。


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