気になる本~向田邦子さんのエッセイと、平野啓一郎さんの『マチネの終わりに』と
向田邦子さんのエッセイ(確か、『父の詫び状』に入っていたと思う)に、こんな話があった。
向田さんが幼い頃、何かの記念で写真を撮ることになった時、横に紙幣が落ちているのに気づいてしまった。
拾いたいが、動いてはいけない。この時代は、すました顔で写っていなければならない。だが、どうしても気になって仕方ない。
結果、大人になってからその写真を見直すと、一応正面は向いているけれど、眼はひたすら横の地面を気にしているのがわかる、らしい。
向田邦子さんのエッセイにはまったのは、中学の終わりか高校の時だった。国語の授業で、プリントアウトされたエッセイ「ごはん」(『父の詫び状』)が配られたのだ。
今でこそ、ライターでござい、とは名乗っているが、当時の私の国語の成績は惨憺たるもので、教材として読まされる文も、ジャンル問わず面白いとは思えなかった。
こんな調子だから、定期テストの成績については、ご想像の通りだ。
その私が、珍しくはまったのが、向田さんの文章だった。
まず読みやすい。そして、面白い。読み進めるにつれて、家族の光景が活き活きと蘇る。時にふふ、と笑いたくなる。
「ごはん」とタイトルからわかるように、食べ物の話だったからでもあろうか。
学校の図書室やら、近くの区立図書館やらで、彼女のエッセイ集を探しては借りて読んだ。
彼女の真似をして、エッセイらしき作文にも、手を出してみたことさえある。
小学校の頃の、日記の宿題は嫌いだったくせに。
身の回りのことについてあれこれ書くのは好きではなかったのに。
最近では、「30日投稿し続ける」課題を自分に課して、頭が痛かろうが、疲れていようが、とにかくこのnoteを開き、何でもかんでも手当り次第に放り込んでいる。
美術のこと、読んでいる本のこと、あるいはそれ以外の、「売り物」にはできないだろうなあ、と思うような日常の出来事からふと考え付いたことども。
「あやしうこそ、ものぐるほしけれ」
と、おどけて見せながら、今もこうしてキーボードを叩いている。
15日目、折り返し地点を過ぎたあたりから、何となくなりふりかまわなくなっているような気さえする。
さて、なぜ今になって向田さんのエッセイのことを思い出したのだろう。
理由は一つ。気になって仕方がない本があるから。
平野啓一郎さんの『マチネの終わりに』だ。最近、文庫版が出たばかりで、書店に行けば、「映画化」の帯と共に平置きされているのが目に入る。
何とはなしに、書店に立ち寄り、ふらふらと歩きながら、眼は白地に鮮やかな青と緑が浮かぶシンプルな表紙を常に見ている。
欲しいな、と。
でも、図書館では未だに予約が数十人入っている。
ずっと気になっていながら、手に取る機会がないまま、ここまで来てしまった。
いい齢をした大人が、平置きされた文庫本を横目で睨みながらうろうろしているのは、傍から見てどうなのだろう。
どうにか離れても、本のことが頭から離れない。
他に、やることは色々あるだろうに。
困ったな。欲しいから、とすぐに手を出すことが癖になっては困る。
今格闘している記事が終わったら、買っても良いことにしようか。
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