多彩なひと

ほんとうにすきなものは、ことばにできない。
よくそう言うけれど、わたしはその意味が今まであまりよくわからなかった。どちらかというと自分のすきなもののを因数分解することも、言語化して手のひらにしっかりとにぎり直すことも、比較的得意なほうだったからだ。なんなら自分の卒業論文も、すきなものはどうして自分を狂わせるのか、みたいな話を延々とした記憶がある。とにかく、そのくらいにはことばを使うのは得意なつもりだった。

けれど、こればかりはわからない。
いま現在、すきなひとのことがすきな理由がわからないのだ。


数年前、ライフスタイルが変わり強制的にジャニーズから足が遠のいた。その代わりといってはなんだが、わたしは今まで以上に宝塚歌劇団にのめりこんだ。ペンライトではなくオペラグラスを握りしめて、毎週のように日比谷に通いつめるオタクになった。
わたしの中での順番が変わり、宙組の芹香斗亜さんというタカラジェンヌを中心に生活が回るようになった。

学生時代から芹香さんのことは拝見していたけれど、お恥ずかしい話だがそこまでの熱量はなかった。多ステしないし、楽にこだわったりしないし、もちろんムラに遠征したりもしない。超ライトなファンだった。けれどここ数年のわたしは、いろいろとありそれなりにしっかりとしたオタクになってしまった。

けれど、どうしてそうなったのかわからない。芹香さんのことはすきだ。他の誰が舞台にいても、芹香さんを目で追わずにはいられない。
ただ、芹香さんでなければいけないなにかがなんなのか、ずっとわからないのだ。


わからないなりに、少し考えてみる。
芹香さんは、いつも綺麗だ。綻びとか隙とか危うさとかそんなものとは無縁で、とても完璧なひと。頭の先っぽから骨の髄まで、芹香斗亜という神経が通っているひと。そういうとなんだかアンドロイドの人形のような感じに聞こえてしまうけれど、ぜんぜんそんなことはなくて。
おちゃめでチャーミングでコメディエンヌなのに、ストイックでスマートでプロフェッショナル。掴めるようでいて、掴めない。
一言で括るのは本意ではないけれど、多彩ということばがぴったりだろう。

正直な話、芹香さんよりずっとずっと、歌が上手い人も、ダンスが上手い人も、演技が上手い人も、綺麗な人も星の数ほどいるだろう。
それでも、わたしは芹香さんがいい。
わたしはきっとこれからも、くるくるころころと万華鏡のように変わってみせる芹香さんを見ながら、そんな彼女のなにかが掴みたくて手を伸ばし続けるんだと思う。


エクスカリバーという演目が、芹香さんのトップお披露目公演で良かったと心の底からおもう。
仲間に祝福され、家族に見守られ、そして愛に包まれながら、大きな大きな王冠を華奢な頭で被る瞬間。舞台上であまり素を出さない芹香さんの、一瞬だけ見えたほっとしたような素顔。
誇り高いアーサー王でも、完璧なトップスターでもない。
ただの、ひとりの、芹香斗亜さんの表情が見えたようで。

だからきっと、やめられないんだろう。
こうやって、いろんな芹香さんが見たくて。
熱に魘されたように劇場に通い続けるのかもしれない。
たぶんきっと、彼女が大劇場の板の上を去る日まで。


芹香斗亜さん、春乃さくらさん、
トップスター就任おめでとうございます。