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あの引き出しなら、ドロボウも手が出せません(別居嫁介護日誌 #54)

さて、鍵の交換である。

お願いしたのは、インターネットで探した鍵の交換業者だった。事前にどこまで情報を伝えていいものか迷いながら①家主が高齢であること、②やりとりはしっかりしているものの、できれば費用な振り込み支払いでお願いしたいことを交渉する。

認知症である旨は伝えなかった。悪意の第三者を引き当ててしまっている可能性もゼロではないためである。駆けつけて交換に立ち会うという選択肢もチラリと頭に浮かんだけれど、夫に相談すると「そこまでしなくていいよ」とあっさり言われた。うん、まあ、そうかもねと思えるようになったのは、経験のたまものだ。

結局、支払いは現地精算のみとの話で、振り込みでの支払いにすることはできなかった。義父に電話をかけると、迷いのない口ぶりで「手元の現金で支払えるので問題ない」と言われる。一抹の不安は残ったものの、ダメならダメで、そのとき何とかすればいいや、と交換の依頼を続行した。

念のため、鍵の交換業者には、複雑すぎる構造の鍵にしないよう、お願いした。やたらと凝った鍵に交換したことで、合鍵を作る際に苦労するのを避けるためである。ただし、義父母の性格を考えると、どの鍵にしたいかは本人たちが決めたがるはず。こちらで決め打ちするのではなく、現場でカタログを見せ、ご本人たちの希望を聞いてもらうようにもお願いした。あれこれと面倒な相談をしているにもかかわらず、いやな声ひとつ出さず、対応してくれたのがありがたかった。

さらに、義父との電話で、受け取った合鍵のしまい場所も相談した。

「あの引き出しなら、ドロボウも手が出せません。これまでものがなくなったこともないので大丈夫」
そう義父が自信たっぷりに指定したのは、鍵付きの引き出しだった。鍵は義父しか持っていないため、義母が勝手に場所を動かしてしまう心配もない。不安は残るけれど現時点でやれることはやった。あとはおとうさん、お願いします! と祈りながら電話を切った。

翌日、鍵の交換業者から作業完了を報告する連絡があった。「合鍵は、おかあさまにお渡ししました」と言われ、ギョッとする。いやいやいや、それはものすごく困るんですけれども……!

「すみません、合鍵は義父に渡していただきたかったんですが……義母が受け取っちゃった感じですか?」
「申し訳ありません。お父さまは到着したときから横になっていらして……ずっと、お母さまが対応してくださったんです。ご連絡すればよかったですね」
「いえいえ、こちらこそ、面倒なお願いをあれやこれやとすみません」

お父さんは寝ていた……? 体調でも崩したのか。心配になって実家にかけると、「あらあら、真奈美さん?」と、義母が電話をとるなり、うれしそうに言った。

「今日はね、とっても大変な一日だったのよ。鍵の交換を手配してくださったのはあなた? おかげさまでいい鍵をつけていただいて。あの方、お名前はなんておっしゃったかしら。とってもいい方ねえ。親切にいろいろ説明してくださって。何を説明してくださったのかはよくわからないけれど、とにかくご親切だったわ。オホホホ」

のっけからハイテンションである。ますます不安になりながら、「おとうさんは……?」と尋ねると、義母が「それがね……」と声のトーンをグイと下げ、ささやき声になる。

「今日は朝から『疲れた……』といって眠ってばかりいるの。いったい、どうなっちゃっているのかしら。おかげで、鍵を交換してくださる方とのやりとりも全部、わたしがやったのよ。疲れ果てちゃったわ」

なんと頼みの綱の義父はまるで機能しない状態だったらしい。よく支払いにこぎつけたな。義父が布団の中から指示したのだろうか。謎である。でも、下手に義母に確認して、「お金がない……!」パニックの引き金を引くのもマズい。現金精算をどうクリアしたかはひとまず、脇によけておいて、合鍵の所在を確認する。

義父が寝ているとなると、当初予定した場所にはしまわれていないはず。では、どこに置かれているのか。

「おかあさん、合鍵って“いつもの引き出し”に入れてくださいました?」
「どうだったかしら?」
のっけから不安な回答である。

夫の実家にはいくつか引き出しがあるが、普段から義母がよく使う引き出しは限られている。何も考えずにしまったとすれば、あそこだろうとアタリを付け、確認する。

「私がしまうとすれば、多分、あの引き出しね。ちょっと確認してみるから待ってね」
そう言いながら、電話の向こうで義母がゴソゴソと引き出しをかき回す音がする。

「あったわ! きっとこれよね」
義母が封筒に書かれた業者の名前を読み上げる。私が頼んだ業者の名前が書かれていて、中にいくつか鍵が入っているという。ビンゴ!

「盗まれるとこまるから、別の場所にしまったほうがいいかしら」
「多分、そのままそこにしまっておいたほうが安心だと思います」
「あら、そう? でも、ティッシュでくるんでしまう方が安心じゃない?」
「あんまり上手に隠しすぎると、自分でも見つけられなくなりますよ!」
思わずわたしが吹き出すと、義母も「それもそうね! あなたってよく私のことをご存じね」と笑い出した。セーフ! 

「せめて、引き出しの下のほうにしまっておくわね」という義母に、「お願いしまーす」と能天気な声をかけ、電話をきった。あとで、「やっぱりうごかそうっと」なんて思いませんように。こうなったらもうジタバタしても始まらない。どうか、次に訪問するまでに鍵が残っていますように。合鍵がつくれますようにと、祈るしかほかにないのである。


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