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「しない」という選択をする重要性について

あなたはなにをしないで生きていますか?

30過ぎて感じるのは
「しない」という選択
「する」という選択と同じくらい大事だということ。

~をしている、~を続けている、というのももちろん重要だ。
でもそれと同じくらい、
~をしないでいる、~をしないようにしている、というのも
同じくらいに重要なことである。

たとえば、私の話でいうと

・薬物、ドラッグをしない
・タトゥーを入れない
・タバコを吸わない
・どんなに辛くても自分の身体を傷つけたりしない

という物理的なものから

・人の人生を自分の指標でジャッジしない
・優越感という感情を持たない
・自分と誰か、または誰かと別の誰かを比較しない

という意識的なもの
さらに、

・誰かを見下す人と付き合わない
・自分を評価してくれる人だけを周囲に集める人を極力避ける
・自分の味方をしてくれる人だけと付き合う人とは関わらない

という対人関係についての内容までさまざまだ。

ここでわかってくるのは、
実際に「しない」という選択肢を考え、選別し、実行に移すことで

「自分」という道標のようなものが見えてくること。

恥ずかしながら、このことに気が付いたのは最近で
「とりあえず受け取る」よりも「敢えて受け取らない」選択を多くとり出したのも30を過ぎてからだった。

学生のころ、あれほど頭を抱えていた「自己分析」について、今更ながら、
「しない」という選択肢を取り続けることで、ようやく解決できたような気がしている。

ところで、「する」ことは「しない」ことよりもずっと簡単である。

人に流されたり、なにかのついでだったり、
ただなんとなくだったり。

スーパーへ行って、商品を見て、
ほしくもないけどただなんとなく買ってしまうこと。
レジに並んでいる間、つい脇見して、
それほど魅力的でもないけどとりあえず買っておくこと。

たとえばそれらを「しない」という選択をし、行動をとることが
意外にも大変だということに、ほとんどの人が改めて気が付くのではないだろうか。

ただなんとなく、つい、という 流されやすいこと、
衝動的なものを抑える必要のある「しない」という選択については、
生きる上で取り入れておいて損はないと思う。

この事実にもっと早く気づいていれば、
自分も人生で遠回りをしたり、余計な道に走ったり、
迷走してしまったりということが防げたであろうことを考えると
今更ながらに悔やまれる。

だからもしも、自分自身と人生プランについて迷っている人がいて、
「自分がわからない」
「どうやって生きていいかわからない」

と思っていたら、やりたいことよりもまず、

「こうなりたくない」人物像を思い描き、
そうならないためにはどういう思考であるべきなのかを考え、
そのためにはどういう行動を心掛け、動いたらいいのかを指標にして、
その延長線で自分の仕事なり、恋愛なりの、自分の道を考えていけたら、今後の人生に大いに役立つであろうと思う。

ということで、今後のために、ここに書き留めておくことにする。



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