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いつか書いてみたい、「後味の悪い」小説。

こにちわぬん。ベビだす。
kindle2作目の進行をのそのそとやっとります。
1作目はノンフィクションの『保護猫・しぶき~保護犬が保護した赤ちゃん猫の120日~』でした。

2作目はもう内容は決まっているのですが、それ以降のものとして出版するかしないかは別とし「書いてみたいなあ」というものがあります。

いわゆる「後味の悪い作品」を書いてみたいんですよね。

小説でも映画でも、「後味の悪い作品」「胸糞」と言われるものってあるじゃないですか。
バッドエンドだろうがグッドエンドだろうが、その内容があまりにショッキングで、読んだ(観た)人の気分を鬱にさせちゃうような。

何故そのような感情を覚えるかというと、それってつまり「その悪意に思い当たるものが自分の心の中にある」からだと思うんです。
でなければ、「後味が悪い」という感想が生まれることはないのではないかな、と思います。

そんな「本当は直視したくない悪意」を直視させてしまうような作品を書いてみたいなあという「野望」に近いものがあったりします(笑)
「これはちょっと問題作だ」と言われれば、成功なのかもしれません。

後味の悪い作品や胸糞と言われる作品でも、同時に高い評価をされていたり「名作」と言われるものってありますよね。
つまり人は、「善」にのみ感動するのではない。
「己の中にも存在するかもしれない、認めざるを得ない悪意」にも共感し、感動もする。

こういうものが書ければ、書き手として凄いなあって思うのです。

負の部分を描くのって、難しい。
少なくともわたしにとっては、難しいことです。
万人受けする「いいこと」は比較的簡単に書けても、ちょっとハードルを上げて「本音」とか、もっとハードルを上げて「問題提起」とか、更にハードルを上げて「倫理を問う」ものって簡単に書けないじゃないですか。

今の世の中、ちょっとしたことで炎上する時代なので、「怖い」気持ちがどうしても前にあるんですよね。わたしだってそうです。
でも、こうも思うのです。

そういう「後味の悪い作品」「胸糞な作品」が消滅した世界が生まれたとして、それは2つのパターンしかないな、と。

1つは、「そんな作品が必要ないような、真に平和と安らぎを得た世界」
もう1つは、「そんな作品を許さない、後味の悪い世界」

実現するかどうか、発表するかどうかはわかりませんが、いつか「良い話・面白い話」だけではなく、「後味の悪い、胸糞な話」も個人的に書いてみたいなあという、ベビの些細な野望のお話でした(笑)


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