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第九話「思ってたのとちがった」

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      ライヴより、マニアック

      マイケル・センベロの「マニアック」の抜粋です。 ハードロック版にしてあります。大好きなエイティーズミュージックです。

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        SomeFunk

        頭が痛くて横になろうとした時に限って、湧く。構想10分、作業90分程、できたの30秒…最初はDeep Purpleみたいな曲(その左証に、テンポはBPM112、Key(トーナルセンター)はGでありんす。 んで、バウンスしてFacebookでDropboxからシェアしたところ、まったくの無反応(そりゃわざわざ再生しないわな)だったので、あとからアテブリで動画撮影。iPhoneで15分くらい。iMovieに読み込んで編集15分くらい。そもそもの尺が短いとはいえ、あっという間。スゴい時代になったもんだ。 ブログにもアップしてます。今のところnoteとダブル投稿ですが、有意義な棲み分けができたらなぁと思っております。https://babysnake.jp/?p=5056

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          猫に思う。

          高校のころ、演技の勉強をしようと思って、「メソッド演技」という本を読んだ。スタニスラフスキー・システムを解説する内容で、リー・ストラスバーグという人が書いた本。もうすでに言葉が多くてどの人が何なんだかわからないが、本当は習いにいけばいいのに、本しか読まなかった。けど、ハミングで、喉から硬口蓋を使って声を増幅する発声法とか、今も役立っている。 その中で、メソッドの解説として、偉大な演技者として「猫」が挙がっていたのが印象に残っている。うろ覚えだが、 「猫は、毛糸玉で遊ぶ時、まさかそれを本物の獲物だとは思っていない。 しかしその時、猫は毛糸玉を、本物の獲物であるかのように、ではなく獲物として真剣に仕留めにかかっている。 確実にそれは本物ではないと知りながら、真剣に狙う。 遊んでいるのだが、本気なのである。 演技の本質は、その役に100%没頭して、なりきることではない、演者はかならず、それがなんらかの偽物であることを常に、完璧に認識した上で、しかしながら完全にそのシチュエーションを投影させることが演技である。 その点で、猫は偉大な教師である」 といった内容だったと思う。 話はそれるが、たとえば演技の本を読んでいたら「なんや、俳優にでもなるつもりか?(半笑)」とか、楽器をやりはじめたら「そんなもん、3歳くらいのころから始めな、モノにならへんし、無理やで」とか言ってくる人間が必ずいるものだが、あなたの人生にまったくもって不要な人間なので、たとえ血縁の人間でも勇気をもって切り捨てるべきだと思う。 話は猫にもどって、私の好きなスコットランド人の作家・サキのエッセイ(いま、さがしてもどこにもないし、現行の短編集のどれにも収録されていなくてショック)にもあるように、また猫は、人間の生活に巧妙にはいりこみ、自らの尊厳を失うことなく生きている。これこそ高貴という言葉の意味なすところだ、というようなことを書いていた。 ここのところの体調や、年齢的なこともあり、くよくよと考えていたことが多かったが、猫を見ていて、この人たちに「実現したい自分」とかないわけで。それでいて、のらりくらりと、自分に快適なことをうまく見つけてサヴァイヴしている。自分自身がヴィパッサナー瞑想とかで得ようとしている(手放そうとしている)ニュートラル属性を、すでに身につけているなぁと。そのまま猫チックに行動をすべてやると人間として色々と瓦解してしまうのだが、参考にして楽にいこうと思った次第。

        第九話「思ってたのとちがった」

          明けない夜の鎮魂歌

          どどどどどど… どどどどどど… ココとトコは布団のなか、薄暗がりでふたり天井を見上げている。 「水は何色?」 「水色だよ」 「空は何色?」 「そら色だよ」 「雨は?」 「…」 どどどどどど… どどどどどど… 遠くから、地鳴りのような音が聞こえる。 それは、夜も昼も、ずっと、ずっと、どこからともなく鳴り続けている。 寝返りをうつトコの頬は少し汗ばんで、3本ほど髪の毛が張り付いている。明かりなどない室内は、夜だというのに薄明るい、窓の外がずっとずっと、ぼんやりとオレ

          明けない夜の鎮魂歌