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vtuberの転生について感じた気持ちを分解してみる

はじめに

vtuber界隈でその時々に話題にされる、vtuberの転生。

今回僕がよく知る人が転生したことをきっかけに感じた感覚を文字に落とし込みつつ整理していきたいと思う。
今回は主によく見ていた二人のvtuberの転生に即して感じたことについて書いていく。

背景

便宜上個人名はアルファベットで表記する
vtuberA:もともと別のvtuberとして活動していたが突如引退し、半年ほど後にAとして活動再開
vtuberB:こちらも元々別のvtuberとして活動、企業の事情によりサポートが得られなくなり引退、半年ほど後にBとして活動再開
この二例について書いていく。

AもBもガチ勢とは到底言えないが初回配信のころから定期的に見ていて、引退配信では普段しないコメントやスパチャをしたり感極まってちょっと泣くくらいには愛着があるvtuber達だった

転生した姿を初めて見たとき

帰ってきてくれてとてもうれしいけどなにかもやっとしてすこしかなしい、けどこれから頑張ってほしいとも思う、複雑な気持ちだった。

ここから分解していく

より細かく書き出してみると、
・声質や癖などは明らかに記憶にあるのに目の前の人は姿が違うという違和感。
・特にAに言えることだが突然理由なく引退し(記憶頼りではあるがはっきりとした理由の説明はなかったはず)、半年程度の期間で転生したことに対する不信感のようなものがある。昔の思い出が軽んじられた感覚というところだろうか?(実際未だにAのことはあまり見れていない)。
・転生前では見せなかったパーソナルな部分の出現。僕の記憶の中のあの子はそれ自体がその人ではなくただの一部分であったのだろうか?あれがあの子の「素」ではなかったのか?という疑心暗鬼に駆られ始める。

まとめると、目の前の状況と親しみのある記憶が符合しないという違和感、自分が置いてきぼりになった感覚、今まで知らなかった新たな一面を見たことによる動揺になるんじゃないだろうか?

つまり目の前にいるのは僕が好きだったvtuberなのだろうか?という存在性の揺らぎみたいなものが起こっているんだろう。


これからどうするべきなのか

きっと見続けていれば慣れて前と今が一体化してくるんだろうとは思う。または完全に別のvtuberとして認識が分離するか。

あとは「わかるひとにはわかる」ような昔の視聴者に向けてのメッセージが欲しいのかもしれないとも思った。多分一体化が早まるだろう。


一応言っておくとこのnoteは転生を批判しているわけでは決してない。
単に気持ちの整理をしたいだけのnoteだ。
むしろ転生自体は喜ばしいことだろう、それほどvtuberに可能性を見出して魂がまたここに帰ってきたのだから。
生き方は前とは違うかもしれないけど輝きは同じだろうから。

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