ひえ

ブログで書き溜めた記事から適当に見繕って載せてます。今はまだお試し中http://bu…

ひえ

ブログで書き溜めた記事から適当に見繕って載せてます。今はまだお試し中http://bungeibaicai.hatenablog.jp

マガジン

  • Baicaiの欠片 コラム

最近の記事

投票所の雰囲気はお通夜 - 民主主義は死んだのか?

 選挙に行ってきた。別に行っても行かなくてもどっちでもよかったのだが、選挙について記事を書いてしまったので「まぁ行っておくか」と思って行ってきた。感想は暑かった。朝一だったけれど暑かった。これから投票に行かれる方は暑さ対策をしっかりして行ってきてほしい。  しかし、それにしても投票所はつまらない。係員は押し黙っているし、なんというかイケないことをしているような気分になる。だから私は投票に行こうとするとちょっとイヤな気持ちになる。  前回「選挙は民主主義のお祭りだ」と

    • 選挙は民主主義のお祭りだから - 若者のための選挙心得

       いよいよ明日が選挙の投票日ですね。皆さんだれに投票するか決められました? テレビからは、「選挙って何を知らいいのかわからない!」「誰に投票したらいいのかわからない!」「メンドクサイから行かない!」なんて若者の声が届けられております。  私もこの間「池上彰のこれくらいは知っておこう選挙」をお茶碗片手に「へーそうだったんだ」なんて思いながら見てました。こんな番組を見ていると逆に「選挙ってメンドクサイ!」「政治なんて分かんない!」なんて気分になってしまいます。  でもね、選挙

      • 約束を破ったのはだれか?-舛添都知事問題などを考える

         伊勢志摩サミットやオバマ大統領の広島訪問などが終わり、再びニュースやワイドショーの話題が舛添都知事に帰ってきました。別に彼を擁護したいわけではないのですが、この問題に関する報道やバッシングを見ながらちょっと考えてみたいと思います。  目次 ・舛添都知事問題について ・私たちは何に怒っているのか? ・法律という約束ごと ・約束を破ったのはだれか? ・私との約束を破ったのはだれか? ・私たちをミスリードする何か ・舛添都知事問題をミスリードしないために ・舛

        • テキトーに語る経済思想のお話 - 日本って本当に資本主義?

           テキトーに経済思想のお話-番外編です。これまで語ってきた経済思想をもとに今の私たちの日本経済を考えてみます。これまでとはちょっと変わって硬めの文章で長いので目次を作ってみました。  相変わらず、きちんと勉強している方から見れば何言ってんだこいつ?って感じでしょうが素人の思い付きです。鼻で笑いながら読んでやってください。 ・日本って本当に資本主義? ・高度経済成長期の要因を考える ・高度経済成長期の日本経済思想って? ・資本主義経済の実現するためには教育が足りてい

        投票所の雰囲気はお通夜 - 民主主義は死んだのか?

        • 選挙は民主主義のお祭りだから - 若者のための選挙心得

        • 約束を破ったのはだれか?-舛添都知事問題などを考える

        • テキトーに語る経済思想のお話 - 日本って本当に資本主義?

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        • Baicaiの欠片 コラム
          9本

        記事

          テキトーに語る経済思想のお話

           今日は経済思想史のお話でもしてみようと思います。経済分野は門外漢ですのでテキトーです。まぁ、哲学のお話もテキトーに語っているのですが。  では、経済思想史ってなんじゃらほい?っというと、簡単に言えばみんなが大好きなお金の話です。もっと言えばどうやったらお金が増えるの?ってお話です。みんな好きでしょう? お金儲けの話。 1.重商主義  まず、はじめに紹介するのは重商主義です。重商主義は大航海時代に貿易による経済活動の拡大によって生まれた思想です。重商主義を一言で表すなら

          テキトーに語る経済思想のお話

          フリードリヒ・ニーチェ (シリーズ現代思想ガイドブック)

           かなり間が空いてしまったが、『現代思想ガイドブック フリードリヒ・ニーチェ』を読み終えた。凄い。ただただ凄い。圧倒された。ニーチェは本シリーズの一つの根幹であるといえるだろう。ニーチェの思想は現代人の思考にも大きな風穴を開けてくれる。   本書を読んで気になったのは若干ニーチェを過大に評価させてしまうような点だ。後学の研究者の研究成果もニーチェの手柄にしてしまうような評価方法がとられているように感じる。もちろんそんなところを含めてニーチェの凄さなのだが、本書からは等身大の

          フリードリヒ・ニーチェ (シリーズ現代思想ガイドブック)

          サービス。あなたのお金をむしりとるために。

           サービス。サービスとはなんだろうか。  それは代替業といっても良いだろう。その建前はこうだ。忙しいあなたのために、私が代わりにそれを提供します。そのようにしてサービス料が発生する。第三次産業。現在の日本の主要産業だ。  旧来は、忙しい私の代わりに、あなたに代理をお願いする。それがサービス業であった。それは人を使うということであった。だから、サービス業を依頼することはある種の名誉でもあったのだ。  「忙しい私の代わりに、あなたに代理をお願いする」  この産業が発展し

          サービス。あなたのお金をむしりとるために。

          ジャン・ボードリヤール (シリーズ 現代思想ガイドブック)

           『現代思想ガイドブック ジャン・ボードリヤール』を読み終わった。前半はワクワクして読んだ。後半は流されるように読んだ。これは別に書評とかではないので、読後感そのままに適当に書く。実は後付とか細かいところはまだ読んでいない。  これはガイドブックなので、ボードリヤール本書を読まなければ評価のつけようが無いのだが、これを読んだ時点でボードリヤールという人物は、手の届かない大人物に思えて、物凄く身近な人物にも思える。  しかし、なんというのだろう。結局、まだ歴史になっていない

          ジャン・ボードリヤール (シリーズ 現代思想ガイドブック)

          ジル・ドゥルーズ (シリーズ現代思想ガイドブック)

           『現代思想ガイドブック ジル・ドゥルーズ』を読み終わった。ボードリヤールが切れ味の鋭いナイフだとすれば、ドゥルーズはハンマー的な鈍器というか、のこぎり的な摩擦作用の大きいアイテムであったように思う。個々の論説の印象はそれほど鋭くないが幹に響いてくるような、気がつけば切り倒されてしまいそうな感覚だ。  総合としてはそんな刺激を感じながら読んだ。しかし、文学評論の下りはやや茫洋として読んだ。訳者あとがきに「ドゥルーズの文学批評的な評価はまだ十分に反映されていない」と記されてい

          ジル・ドゥルーズ (シリーズ現代思想ガイドブック)

          勢いでドゥルーズも読み始めた

           先日『現代思想ガイドブック ボードリヤール』を走り読みした勢いで積んでいた『ドゥルーズ』も読み始めてしまった。当然メモなんて取っていない。そして難解である。とても常識的に非常識を語ってくるこのおじさんは、食えない男である。  初めから非常識であればこちらも構えようがあるのであるが、その立ち振る舞いはとても常識的なのだ。その常識的な立ち振る舞いからときおりこっそりおかしな理論を混ぜてくる。そしてきっとその混ぜられた非常識が重要なポイントでも或る。  そのたびにこちらはそれ

          勢いでドゥルーズも読み始めた

          読書をしてマイナスになる人たちへ

           まず初めに人は何故読書をするのでしょう? 娯楽のため? 教養のため? 仕事のため? 場合によっていろいろな答えがあるかと思います。  まず、娯楽のために読書する方々へ。私からあなた方の読書について申し上げる点はありません。是非、楽しんで読書をして頂き、出版業界を潤して頂ければと思います。  そして、教養のため、仕事のために読書をする方々へ。特に、社会人の、それもそろそろ中堅所に差し掛かるあたりの方々にお伝えしたい。あなた方が行う読書とは決して何かを得るばかりではないとい

          読書をしてマイナスになる人たちへ

          弁証法で考える問題の解決法

           やらなければいけないこと。やらされていること。やっておきたいこと。この社会に生きていると問題が山積みである。問題。問題ばかりだ。まず問題が多すぎるということが問題だ。  問題。問題を無くしたい。問題をなくすためにはどうすればよいか。問題の解決法を表すしかないだろう。ならばどんな問題の解決法があるか。こういうときは哲学に聞いてみよう。 1.問題解決のためにー哲学的弁証法  では、哲学が問題を解決する際にはどういう方法があるのか。どうやら弁証法と言う方法があるようだ。弁証

          弁証法で考える問題の解決法

          プラトン先生とハイデッガー先生の邂逅点 -私のイデアは何のために?

          はじめに 当ブログでは書評と称して『暇と退屈の倫理学』『哲学の自然』などを読んできた。当然ながら私も國分先生、中沢先生推しではあるのだが、上記2書を読んでみてなんとなくハイデッガー推しでプラトンDisな本であったなぁと思う。  こうなるとへそ曲がりの私としては、ちょっとプラトン先生が可哀想になってくる。もちろん、上記二書はプラトン先生の偉大さを十分に理解した上でそういう理論を展開している。両者を決定的に理解していないのは私だ。それは分かっている。  けれ

          プラトン先生とハイデッガー先生の邂逅点 -私のイデアは何のために?