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出産から、はや50日。産んでからの様々な経験からか、陣痛の痛みはもはや、近い未来、不育症である事すらも忘れてしまうだろう。

病名がついた時、治療法があるんだという安堵感と共に感じたのは「育てられない体」と言われたような絶望感だった。真綿で首を絞められるように、日が経つにつれ、強く強く感じるようになった。認めたくないからこそ、病気であることを受け入れた、だから、毎日の注射にも耐えられたのだと思う。

会えなかった2つの命について、忘れる事はない。そのおかげで、こうして会える命があるのだ。

息子はよく泣き、よく笑顔を見せ、最近はよくお話しするようにもなった。オキシトシンが枯渇するのではないか?と思うくらい、毎日愛おしく思う。お互いが少しずつ人間として、母として成長している。

お医者さんには、次の妊娠を考えたらまた抗体値を検査するように言われている。元々が微妙な数値なので、もしかしたら自己注射を打たなくていい可能性も出てくるかもしれない。その時には、国の制度も改善していると嬉しい。

ひとまず、この日記はここで終わりにする。

同じように悩む人が、この日記を読んで、少しでも前向きになれることを願います。



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