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以下当時のメモをベタ張りです。
時間があったら直します。

何分後かわからないけど、先生たちと旦那、母が戻ってきた。先生から子宮口の開きが悪いこと、赤ちゃんの旋回が止まってること、熱があり、時折赤ちゃんの心拍が下がること、リスクを翌朝に持ち越す必要はないため帝王切開の選択をすることにしたと説明を受けた。
その後、手術の事前説明を受けたが、担当の先生の話が長く、「なんでも了承するから早く手術してくれ!」という気持ちになった。メガネもしてないので、何も見えず、薄れゆく意識の中でサインをして、手術をまつ。

「手術の準備ができました」
この声でゴールが見えた気がした。
歩いてベッドを移動してくださいと言われて、難しい事は伝えたけど頑張るように促された。なんとか移動して、手術室へ移動した。母と旦那にいってきます と伝えて手術室へ向かった。なぜか涙が出てきた。看護師さんが手を握ってくれた。手術室に入ると手術台への移動、ここも動けず4人くらいで身体を動かしてくれた。

名前と カイザーです。と伝え、手術準備スタート。
心電図などさまざまなセンサーを体につける間にも陣痛はやってくる。背中を消毒し、注射。ようやく打ってもらえた。、、今のは麻酔ですか?と聞くと、その前の痛み止めですと言われてがっかり。もうとにかく早く麻酔をして欲しかった。
ようやく腰椎麻酔。背中を丸めるように言われるが、痛くてできない。看護師さん達に丸めてもらってなんとか麻酔をうつ。全身麻酔の時は首元から冷たくなっていったけど、腰椎麻酔は足元から暖かさが上がってくる感じだった。なんどか、保冷剤を身体中に当てられ、麻酔が効いてるか確認された。その間に尿道にカテーテルを入れられた。痛くはなかった。胸の下まで麻酔が効いてる事を確認して、手術の準備が進められていった。陣痛はもう感じなかった。無痛分娩は何故広がらないのか。
手術のスタートは、先生方の自己紹介、執刀医〇〇、なんとか、誰々、、ドクターXを思い出した。みちこや、城之内先生はいないみたい、と余裕も生まれる。
音楽は90年代jpop?グレイだ。
部分麻酔なので意識はある。産まれた子をちゃんと見るために眼鏡が欲しかった。その旨を伝えて持ってきてもらう事にした。執刀医は長々説明をしていた研修医のようで、センター長の先生に指示をもらいながら手術をしていた。
この先生に切らせて大丈夫か?ドキドキする。ライトに反射して手術野が見えるかなと思ってけど、乱反射して見えなかった。しばらく切りすすめた後、お腹ちょっと押されますよ〜、と言われて圧を感じた。
その時が来た。グググゥという圧を感じた後赤ちゃんが取り出された。
1033!と先生が声を上げた。一度胸に赤ちゃんが置かれたような感触。
ふぁー!ふぁー!
元気な男の子ですよ。
ふぁ!ふぁ!
これから胎盤を取り出しますよ。
さまざまな声が聞こえる。赤ちゃんが検査のため運ばれる。一瞬横を通った。顔を見た。あぁ無事に産まれた、産まれた。とてもほっとした。
1044胎盤剥離!
時間の感覚がないが、後産も終わったようだ。看護師さんに胎盤を見せてもらった。
随分大きなものだった。卵膜も分厚くしっかりしていて、へその緒も健康そうだった。この後、火葬するらしい。10ヶ月お疲れ様でした。
その後、お腹を閉じた。すごく寒くて、眠くなって、震えながら目を閉じていた。閉じた後、お腹揺らしますよと言われて両側から揺らされた。臓器を正しい位置に直したのだろうか?とにかく寒かった。肩の震えが止まらなかった。

手術台からベッドに移動し、母と旦那の元へ。2人は赤ちゃんをみて感動した様子だった。お疲れ様と声をかけてもらい、私は先に病室へ移動し、2人が遅れて入ってきた。病室で赤ちゃんの検査が終わるのを待った。とにかく身体が寒くてしょうがない。布団を2重にかけてもらったが震えは収まらなかった。点滴で解熱剤や鎮痛剤を入れてもらい、手術の話をしながら赤ちゃんを待った。赤ちゃんも頑張ったみたいで、わたしには腹水が溜まっていたとの事。
1時間ほどした後で赤ちゃんが入ってきた。小さい、けど、とてもはっきりした顔をしているように見える。添い寝をさせてもらった。朝の3時近くなっていた。母が帰り、その後も旦那は残ってくれた。赤ちゃんを見たり、色々話をした。泊まることはできないようなので、4時前に旦那も帰っていった。

終わったけど、始まった。破水した時、これから起こる事を想像して、恐怖とワクワクから、ジェットコースターに乗ったようだと思った。赤ちゃんを見ながら思う。ジェットコースターはゴールにたどり着いたのだろうか。それとも、まだ1つめの山を越えたあたりなのだろうか。
お互い、長い期間頑張りましたね。お疲れ様でした。これから、よろしくね。

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