見出し画像

ころころ転がる石のように丸くなり尖り丸くなる

noteを始めてみて、自分って何者なのだろうと考えていました。始めるきっかけは、今日もなんとかライター(編集者)である自分が、いろんな素晴らしい方の記事を見て刺激を受け、ここに書いたら自分も注目されるかもしれない、なんていう甘い考えもあったのかもしれない。

そもそもだ。私はなぜ書く仕事についていたり、書いていることが好きなのか、そして図々しくもそれでお給料をいただきたいと野望に満ちている以前に、じゃあ、書くことを仕事にしなかったら、今日は書くのをやめようと思ったら、何が残るかって思った。そうしたら、それは「おかあさん」である自分だった。

今は女性は結婚しない人も結婚しても子どもがいない人も大勢いる。持たない(希望しても持てない)理由も人それぞれだ。子どもを持つと自分の自由が奪われるから無理に持たなくていいという人、結婚したいし、子どももほしいけど、いい出会いがないよねという人もいる。

そんな人生の取捨選択が可能な時代に生まれて、なんで私は今のパートナーと出会って、結婚して、子どもを持って、「おかあさんになる」という道を選んで、今もその道を歩いているのだろう。そんなこと誰が聞いてもどうでもいいかもしれないが、きっとその結論は、「おかあさん」になりたい「欲望」があって、「その流れに乗れてしまった」だけだったと思う。「おかあさん」になりたかったし、そもそも結婚がしたかったし、お互いの両親もすんなり認めてくれた。

今いるポジション(社会的役割や人間関係)にいて考えてみると、「そうしたい」という気持ちや「自分ならできるかもしれない」という気持ちが無意識の状況下にあったからこそ、「今ここにいる」人が多いのではないかと思う。

何が言いたいかというと、うまくいくことや行かないことがあっても、それなりに今選んで進んできた道は、「自分で選んできたから」からあるからなのかもしれない。もちろん自分で選択することすらできなかった出来事(親の影響や教育環境、予想外の事故や病気など)もあるから、全てあなたが選んだことだ、なんて冷たいことは言わない。

これからもこの生き方でOKなのだろうか、と思った時、例えば白いキャンバスがあってどの色を選ぶのか悩んだら、「この色がいいんじゃないかな」、「いや、この色にしたほうがいい」とか、時に「共作しましょう」と言われて方向転換したり、「しまった! なんでこうしたんだ、やり直しだ!」とか。ああ、なんだ、ほとんどの描きかけのキャンバスは、時に誰かの影響を受けたりしながら、自分で描いてきた中途半端な絵であって、これはこれかも試行錯誤しながら変わっていくのだと思う。

20代に仕事に邁進し、途中挫折し闘病した期間もある。noteを見ていると、たくさんのクリエイターさんと比べてしまうことがあり、もちろんためになり励まされることもあるが、自分の仕事が不調(と思っているだけの時もある)時、クリエイター(ライター)としての自分を外してみたら、自分はなんだろう? と思うと先に浮かぶのは「おかあさん」としての自分なんだ。

だから、キャンバスが描き直しになって、もうぐちゃぐちゃにするか、絵なんかやめて、草むしりをしようかと思うほどやさぐれても、「おかあさん」であることに私はただ、ただ救われる。とりあえず朝起きて、ご飯食べさせて、仕事したりヨガ行ったりダラダラしたりしながら、夕方になったらご飯作る。ご飯があれば子どもがすごく幸せだし、パートナーは仕事が忙しく会話もまちまちになるが仲良し。子どもの話を聞く、風呂入る、寝る。それだけあったら十分。

今後クリエイター(ライター)として生きるか、それとも別の道を行くかどんな道を選んでも、わたしにはちゃんと「おかあさん」としてのゆるぎない、時間がある。そう考えたら、自分の今後の仕事のプライドや不安に苛まれるより、いま自分に与えられた時間を味わって、できることをやっていけばいいのだ。

SNSが発達した世の中、人と比べて「できない」自分に注目してしまっている人は多いのではないかと思う。比較というものは、本当は「できない」のではなく、「その人にはなく、自分にしかできないことがちゃんとあるという事実を再確認する作業」なのだけど、やはり比較=ダメな(と思える)自分に出会ってしまうのかもしれない。

今日も夕飯の献立を考える。ちゃんと食べて、ちゃんと笑って、お風呂に入れば眠くなる。やることはたくさんあり、やれることはたくさんある。こんなに頑張ったのに評価されない思想から抜け出したい。評価されたいと思い始めた時点から、評価されていない方に注目しているのだから。

過去を振り返ると、「評価されなくてもいい」と日々淡々と生きている時期の方がいい流れが来ていたと思う。クライアントさんからの仕事案件の連絡だけでなく、友人のことを考えていたらある日突然に連絡くるとか。スピリチュアル的精神で語っている部分もありますが、やはり人は焦っているほどうまく事が運ばないようです。つまり、やるべきことをちゃんとやったら、あとは「let it go」を心で唱えていれば、シンプルに楽に生きていける気がする

少しばかり視野を広げて、「こうあるべきだ」、「あの人はこうあってほしい」という壮大な期待から抜け出そう。去る者は追わず、来るもの拒まずなのだ。

今ある自分の手持ちのカード(知識、経験、コミュニケーション能力、人脈)の中に答えってたくさんあるのだろう。たまたま実っていないだけで、着実に今やるべきことに集中していれば、いい流れはきっとくるのだろう。

そう考えながら最近は暮らしていたら、久しぶりに尊敬する編集者さんから嬉しい企画のご連絡をいただいた。今年も書いたし、来年も目の前のことをきちんと大切にしながらこれからも書き続けられますように。そして「なんかイマイチ」な時は「おかあさん」モードで暮らせばよいのかもしれない。

理想と現実のギャップが深すぎてなんだかうまくいかないと思ったら、うまく行っている方に注目する。今日も上流から流れる石のようにコロコロ流れて、削られ削られ、形を変えて、小さく尖り、また丸くなり。そんなふうにコロコロした人生を、ありがたく受け止めていこう。






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?