愛別離苦

心の状態で見え方が変わる
何年も前にお坊さんが教えてくれた言葉
今日もその話をしてくれた
同じものを見ていても、あの人は木の葉の色を青、この人は緑という。そのようなことだ。
わたしはこの言葉が大好きで、たまに思い出してる。
その時々の心の状態で見えているものの印象が変わる。
その時々の心の状態で聞いた話の印象が変わる。
食べたものの味が変わる。嗅いだものの匂いが変わる。触れたものの感触が変わる。
心の感じ方が変わる。 
これはとても実感していることだから、心の状態が敏感になっている時にはいつも思い出している。
心の状態が良くない時も、良すぎる時も、外部からの言葉や、音や、態度や、知識は、何倍の大きさにもなってわたしを攻撃してきたり、肥やしてくれたりする。
心の状態が良くない時は、外部からのいろいろを遠ざけたり、邪険に扱ったり、自分の殻に閉じこもってみたりする。
良すぎる時は、最大限受け取れるよう手を、目を、アンテナをめいっぱい開く。

釈迦はなにかを生み出したわけではなく、苦を見つけた人
この世は苦だ。そして、苦を乗り越えるパワーが必要だ。そのパワーを仏教では知恵という。
愛する者と別れなければいけない愛別離苦
求めるものを得られない求不得苦
会いたくない者に会わなくてはいけない怨憎会苦
そして、自分の思う通りにはならないよという五蘊盛苦
妙法蓮華経の蓮という字は、蓮の花だ。
蓮の花は、泥の上に白い花を咲かす。
それは例えば、不良の中で育った真面目な男だとか、そういうのとは少し違う。それは本末転倒だ。
蓮の花の下には、辛抱という棒があって、我慢というつっかえがある。それを花から覗いて見るのだよ。
苦の中から知恵を使って脱出するのではないのだよ。
釈迦はこの世を苦だと言った。もし釈迦がこの世を楽だと言ったならば、ハッピーが普通になる。だから、釈迦がこの世を苦だと言ってくれてよかった。 

仏教は常に反対のことまで考える。
例えば、大切な人がいなくなったらその大切さに気づく。それは、いなくなる前から大切なことに気づいておくのですよということも含まれている。 

ざっくばらんに話してください
そう話すお坊さんは、話しが上手で人柄も良くて、とても素敵な人。
でも、そんなお坊さんでも、勉強会に行くともっと立派なお坊さんがいると言っていた。
それでもわたしはそのお坊さんが好きだなと思った。だって、事務的な話を淡々と話す姿を菜っ葉を切るように話す、と比喩するのだから。素敵だ。 

まだ、なんでもういないんだろうって疑問が純粋に湧いてくる。
今日は35日。閻魔様に会う日らしい。

#仏教  #日記 #思想 #閻魔

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?