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耳の聴こえない少女と、パタゴニアの旅

「世界一周の感想をカッコいいひと言で!」


毛布がぐしゃぐしゃに足元に転がっている。

モニターのわきから伸びるイヤホンは、ごちゃごちゃに絡まっている。

機内で見た最初のLINEは、僕をとても悩ませた。最後の入国スタンプを押されるときも、なんだか微妙な表情をしていたと思う。

そのカッコいいひと言は、まだ思いついてはいない。


学生最後の春休みに、僕は世界一周の旅に出た。地元の宮城からひとり福岡に出てきたときには、世界一周という単語すら知らなかった。

ある日、『僕らの人生を変えた世界一周』という本に出会った。その中では、世界一周をして人生を変えた人たちが、どこか懐かしそうに、何より嬉しそうに旅の話をしていた。その人たちの話を聞いて、いつかは自分もしてみたいと、どこか他人事のように夢見ることになった。それが、20歳の秋。


そこからはたくさんの世界一周の旅に出る友人を見送った。いつか自分もなんて、夢には思っていたけど、他人事は続いていた。

だって、お金はかかるし、外国語が話せるわけでもない。襲われたりしたら戦えるほどの力もないし、そんなにまとまった時間をとれるわけでもない。なにより、なんとなく勇気がない。選ばれし人だけが行けばいいし、見送るのが気楽でいい。気をつけてね。って背中に語りかけるだけで、自分の日常は変える必要はない。


年は流れて、24歳になっていた。大切な友達が代表を務めるイベントがあるからと、なんとなく関わりたくて、そのイベントのひとつのコンテンツに参加することにした。それが、世界一周コンテント DREAMというコンテント。世界一周へのプランと考えて、そこへの思いを語るというプレゼンコンテストだ。優勝賞品は、世界一周航空券。

20歳のときに読んだあの本の中の誰かも、このコンテストに優勝して世界一周航空券を手にしていた。次は僕の番かなんて、まだちょっと他人行儀になりながらも、やるからにはと意気込んでいた。


審査が進むにつれて、僕の世界一周への思いはどんどんと強くなった。思いを語るほど、それを応援してくれる人も増えて、支えてくれる人が増えた。その思いも背負うからこそ、絶対に世界一周に行くんだという思いに変わった。他人事の夢が自分ごとになり、それが応援してくれる人たちのためにと、いつしかみんなごとになった。


夢を口にすることで、応援してくれる人が必ずいる。口にして、自分の夢を熱く語っても、それが本気ならバカにする人なんて周りからはいなくなる。それが大きな自信になって、最後の審査の舞台の日。優勝の発表で、僕の名前が呼ばれた。

世界一周に行ってこいという拍手が、僕の膝を震わせた。その一年後、僕はバックパックを背負って、世界一周の旅に出た。


僕の人生を変えた世界一周。

旅をしても人生なんて変わるはずがない。そんな安い価値観で生きてきてないし、日々たくさんの刺激を受けている。旅をして人生を変わるなんて薄っぺらいやつの言うことだ。何か見ただけで自分が根本から変わるわけがないだろう。

別に冷めているわけじゃなくて、斜に構えるくらいがカッコいいと思っていたし、誰かの言葉を借りて世の中に乗っかると、まあこんな感じでしょ、くらい。でも、ちょっと思っていた。

ここで結論を言うと、人生が変わることはなかった。けれど、自分の人生を信じることはできた。そんな出会いの話をしたい。


どこまでも続く大空を、大きな影が飛んでいく。コンドルが見下ろす先には、僕は映っているのだろうか。

パタゴニアのパイネ国立公園は、地球の果てだ。風の大地を、まるで世界でひとりだけのように歩いている。Wの文字を描くように進むルートは、世界中のハイカーの憧れ。世界を旅する荷物を背中に乗せ、ゆっくりと進む。


ピーコックブルーの湖はどこまでも美しく、きしむ氷河は遠くでゆっくりと落ちていく。


雪崩はバリバリと雷のように岩肌を削り、猛烈な風はしぶきを高く上げている。

この大地を歩きたい。そんな旅をすると決めて日本を出た。夢のような一歩一歩を、友人が手作りをくれた靴が運んでくれる。幼い頃に家にあった、椎名誠氏の『パタゴニア あるいは風とタンポポの物語り』を読んで以来、憧れの場所だ。

毎日20キロ近くの山道を、衣食住のすべてを背負って歩く。決して楽じゃないが、やり遂げる覚悟があった。

その日はグレイ氷河という氷河を目指す日。

そこで出会ったひとりの女の子は、道の脇に座り込んでいた。


彼女の靴は、真っ赤に染まっていた。どうやら靴ずれを起こしているようだ。雑に巻かれた包帯をほどいてみると、あまりにも痛々しい。ここまでよく歩いたなと思った。目的地までは、あと10キロ以上はある。

コミュニケーションをとろうと拙い英語で話しかけても通じない。そうだ、ここはスペイン語圏。だけど、覚えたてのスペイン語も通じなかった。


彼女は口をパクパクしながら、自分の耳を指さした。

彼女は耳が聴こえなかったのだ。


耳が聴こえない中でこの過酷なパタゴニアを歩き、足が真っ赤になりながらも、ここまで来たのだ。

僕にできることはなにか。

日本から持ってきた消毒液と、ありったけの絆創膏を貼り、僕は彼女のザックを背負った。自分のバックパックは、身体の前に背負った。いびつな赤いレインカバーのザックは、重心がズレているのか、とても背負いづらい。そして、彼女もなんとか立ち上がり、一緒に目的地へと進みだした。


荷物がなくなった彼女は、跳ねるように歩いていく。よかった、応急処置がちょっとは効いたのかもしれない。

そして僕らは、いろんな話をしながら歩いた。

彼女はアルゼンチンから来て、Wルートよりも過酷なサーキットというルートを歩いてきたらしい。夢は日本に行くことで、京都に来たいと言っていた。

英語もスペイン語も通じない。心と身体で会話をする。手話は、オレンジデイズの記憶くらいしかないけど、ちょっとはできた。


稜線から見下ろすと、大きな湖のど真ん中を、船が一隻進んでいる。登りはもうほとんどなさそうだ。遠くまで眺めることができる。

すると彼女が急に座り込み、身体に似合わない登山靴を脱いだ。そして、僕の背負う赤いザックに手を伸ばし、サブの靴に履き替えた。

そして彼女は、靴を稜線の下へと投げ捨てようとした。そのままクルッと回り、稜線をまっすぐ、アラレちゃんのように手を伸ばして駆け下りていった。


この旅で一番感動した瞬間はいつだったかと聞かれると、間違いなくこの時だ。歩けなくなるほどボロボロになりながらここまで歩き、ついには座り込んでいた彼女。
それでもおどけてみせながら、靴のバカヤローといわんばかりの仕草をみせ、飛ぶように走っていった。

僕はこうして、誰かを助けたいと思ったし、誰かが嬉しそうなことが、自分の幸せなんだと気付いた。

耳の聴こえない彼女が教えてくれた、パタゴニアでの旅。僕の1番、大切にしたい気持ち。

旅をして人生観が変わったわけじゃなくて、旅をして、自分の人生観を改めて見つけることができた。

涙が出そうになる絶景も、笑っちゃうくらいの不思議な出会いもたくさんあった。それでも、自分の心が動かされた、人生を変えた世界一周は、この瞬間だ。

どこかにいくことが目的じゃない。
誰かに会うことが目的じゃない。

旅をする中で、自分の中の自分と出会ったとき、僕は旅人になっていた。

かっこいいひと言でいうなら、旅人になってきたって、今なら言うかもしれない。

#旅とわたし



パッキングが得意というかスキです。