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ゆく者はかくの如くなれども:2019.5.17錦秋湖カヌー体験のこと

「何度だって行きたい」の希望をかなえて、再びカヌーイングの機会を得た。およそ一ヶ月ぶりのことだ。前回は早朝に漕ぎだしたが、今回は夕方にお願いした。朝寝坊の私は日暮れが好きなのだった。いそいそと定時で勤め先を抜け出して、船頭である瀬川然さんの車に乗せてもらって廻戸をめざした。然は『シカリ』と読むが、これはアイヌの言葉でマタギのリーダーをさす語であるという。はじめてその由来を聞いたときはひどく感心した。いうまでもなく「然」の字は「まさにそうである」の意で、音と意味の両方で地に足の着いた美しい名前だとおもった。

廻戸の川岸に下りてみて驚いた。木々がすっかり衣替えをしている。これはあとから聞いた話だが、「紅葉」のシーズンは一年に二度ある。一度めは草木の枯れる秋に、そしてもう一度めは、草木の萌えいずる春に。芽吹きたての葉は光合成が不十分であるために葉緑素が少なく、葉のがんらい持っている色素の色が表に出てきてしまう。これを「春紅葉」というらしい。それにしてもたいした様変わりぶりだ。木々の名前を聞きおぼえて、あれはなんの木あれはなんの花と指さしあそぶことを楽しみにやって来たのに、肝心の名前がわからない。春の化粧のあでやかさを思った。
幸田文は「木」という短いエッセイ集の中で、木と触れ合うことについて「一年めぐらないと確かではない」「せめて四季四回は見ておかないと」と記しているが、まさにそのとおりだと思った。もしかしたら四回でも足りないかもしれない。一ヶ月見ないだけでこのとおりなのだから、木とほんとうに知り合いになりたかったら、やはり毎日でも会いに行って挨拶するしかないのだ。それこそ朝の散歩道で、飼い犬を連れ歩くご近所に微笑みかけでもするかのように。

夕日を受けてますます黄色い木の葉が揺れる水面に映り込んで、まるでモザイク・タイルのよう。夕映えの錦秋湖に、遠い沙漠の国の風が吹くような錯覚をおぼえた。けれど水際のカエルの声が、ぼんやりとした妄想から私を引き戻す。錦秋湖のカエルはこの時分いきいきと歌い出すが、沙漠の国のカエルはいったいどんな声で鳴くのだろう? そんなことを考えているうちに、カヌーは夕暮れの湖面を滑るように進みはじめた。斜めに強い光を受けて湖面はきらきらと玉のように輝き、灰色の鉄橋のたもとに微妙な陰翳をなしている。
船頭の青年が言った。「前回乗ったときから水量が1.5メートルほど落ちているはずです」「1.5メートルも?」「芽吹きの位置で、どこまで水があったかわかるでしょう」湖面から顔を覗かせる水没林に目をやると、なるほど水際と葉つきの枝の間に奇妙な間があるように思われた。数十センチメートルは開いているだろうか。そう言えばさきほどからカヌーの船底を木々の枝がこするような感触がある。手渡されたクリアアサヒをありがたく啜りながら、しばし装いも爽やかな晩春の木々をとくと眺めやった。

ふ、と視線をあげると、湖の眺めのなかに小さくて白い影をみとめた。何かが宙を舞っている。正体をたずねると、「ばっけの絮(わた)でしょう」とのことだった。西和賀ではふきのとうのことをばっけと呼ぶ。仙台に住んでいたころは、柳絮舞う5月の広瀬川が大好きでよく散歩に行ったものだが、錦秋湖の上空をふんわりやわらかな柳絮が覆うのはいつごろだろうか。東の空には雲ひとつなく、青々とした景色の中にのんびりと飛行機雲が伸びていた。左手に見える林から、キビタキの声が聞こえる。キビタキは夏の間だけ東南アジアから渡ってくる鳥で、フィッフィッフィーと特徴的な声で鳴く。口笛で真似ができるかもしれない。今度すこし練習してみよう、メモを取りながらそんなことを考えていた。

少し開けた場所に出た。西の空には嶺に似たかたちの雲がかかり、あれだけまぶしかった夕日も雲の背に隠れてしまった。少しやわらいだ日差しの中で改めて、ぐるりと東西南北を見回してみた。残照に照り映えて朱い山肌がことさら美しい。年に二度などとけちを言ったものではない、日暮れのたびごとに山々は朱く紅葉するものらしい。雲の切れ間から、金色の太陽がときおり顔をのぞかせてはまた奥ゆかしげに顔を隠した。瞬間、どこからともなく吹いてきたそよ風が、湖面に細い綾の模様を描くのを見た。錦秋湖とはほんとうによく言ったものだ。錦の湖は秋にのみ花開くにはあらず、沈みゆく日の金色の夕映えのなかに、繰り返し繰り返し燃え立つものなのだ。

「マサノリとユウジも、早く上がって」――遠くからそんな声が聞こえた。かれらは町にある唯一の県立高校に通う生徒たちで、春の大会に向けて競技ボートの練習をしているのだ。船頭の彼もかつてはボート部に所属していて、5人乗りの船をいくつも浮かべて練習したのだという。距離が遠く内容は聞き取れなかったが、彼らの声音はどことなく楽しげで、見ているこちらも微笑ましい気持ち。ちょうど練習を終えて岸辺へ漕ぎ付けているところで、ボートを持ち上げて運ぶ高校生たちの影法師が不思議にまぶしく見えた。

気がつくと、東の空に丸い月が出ていた。満月まであと数日といった風情の月は、次第に青く沈み始めた湖の景色の中でひときわ明るい。日が沈み、少し風が出てきた。昼の名残りを吹きさらう風に、ふと、こんなことを思う。
夜はいったいどこから来るのだろう? 勤め先から出て見上げた空に夜を感じるばかりではなく、昼が夜に変わるその瞬間を見てみたい。そう思って空を眺めてみはするものの、彼らの交代の儀はいつも緩慢かつ鮮やかで、あれと思った瞬間にはすでに次の時刻にバトンが渡されている。惨敗だ。しかし今日はそうはいかない。私はじっと空を見つめて、夜というものが訪れるまさにそのときを目撃しようとした。が、できなかった。長いこと眺めているうちに、今自分が目にしている色が昼の青なのか、夜の青なのかわからなくなってくるのだ。しかし私はそこで重要な知見を得た。青なのだ。夕暮れは光をつれて薄青の紗幕を一枚一枚湖の景色にかぶせていく。紗幕はとても薄いから、一目見ただけではそれが幕であるとはわからない。けれど時間をかけて何枚も何枚もびろうどの幕を織り重ねていくうちに、いつしか辺りは静かで澄みきった青の眺めになる。これを私は夜と呼んでみることにする。
思えば夜の訪れというものは、点というよりはもっと線に近いものなのかもしれない。書き出してみればあたりまえのことだ。けれど私は生来のぼんやり者で、なにより自分の目で見たことしか信じないたちだから、湖上で1時間ばかり空と睨み合ってはじめて夜というものが諒解可能な事象として自分の身に落ち込んできた気さえした。齢23の春であった。

淡い月の輪郭はしだいに黄色く冴え渡り、峰々は深い藍色のとばりにすっかりその息をひそめた。まばらな街灯と人家の明かりが星のようで、胸が高鳴った。私は大学時代漢文を専攻していたから、海に湖に舟を泛べて詠んだ詩をいくつか知っているが、これは確かに、詩の一つでも二つでも詠みあげたくなる格別のけしきだ。こんな爽快な気分の宵の口に、もってこいなフレーズがひとつあったはず――「清風徐に来たりて水波起こらず」と、そううたったのは北宋の文人・蘇軾だったか。「前赤壁賦」という作品の中で、かれはこうもうたっている。

逝く者は斯くの如くなれども、未だ嘗て往かざるなり。盈虚する者は彼の如くなれども、卒に消長する莫きなり。
(岩波文庫「蘇東坡詩選」326頁より)

水はこんなふうにたゆみなく流れてゆくが、決して行ったきりなくなってしまうものではない。月はあんなふうに日々満ち欠けを繰り返すが、ついぞ消え去るでもなく大きくなるでもない。蘇軾もまた、静かな月の晩に舟を泛べて、果てしない水と月とに思いを馳せたのだ。千年の時を越えて、月夜の晩に水を漕いだもの同士の対話が生まれることの、かぎりない不思議さを思う。
「前赤壁賦」はまた、以下のように続いてゆく。

蓋し将た其の変ずる者自りして之を観れば、則ち天地も曾ち以て一瞬なること能わず。其の変ぜざる者自りして之を観れば、則ち物と我と皆尽くる無きなり。
(岩波文庫「蘇東坡詩選」326-327頁より)

そもそも変化するという点から見れば、天地のすべてが一瞬といえども不変ではない。また変化しないという点から見れば、万物も私もみな尽き果てることなどない、と。雄大な自然をまえにして編まれる詩は、自然のその大いさと我が身の卑小さを対比して書かれることが多いなか、蘇軾の詩のなんと伸びやかでやさしいことか。変わってゆくことも、変わってゆくことについて回る別離も悲しみも、すべて包み込んで大きな生命の流れに還元する力強さを、この詩は秘めているようにおもう。大学の講義ではじめてこの文章を読んだとき、あまりの美しさにこっそり涙を流したことがあった。あれから3年、私はかつて蘇軾の描いた「大きな生命の流れ」を肌で感じている。月はますます高く昇り、夜の錦秋湖をあかあかと照らし出した。カヌーはいつしか銀河ホール裏手の岸辺に停まり、くらやみの中を遠ざかる船頭夫婦に手を振って別れた。こんなにも水上をあとにすることが惜しいと思ったことはない。次はもっともっと長いこと、清風と月の眺めを楽しみたい。心からそう思った。
もしもタイムマシンが手に入るのならば教えてやりたい。教室で本を読むのもいいけれど、たまには外に出て水の上に舟でも浮かべてごらんなさいと。気づきはすべて日常の観察の中にある。夜の訪れも赤壁の神髄も、およそ答えとよべるものはすでに野辺のうちに、人のまなざしが注がれるときを待っているのだから。


※「前赤壁賦」は、題にみえるように厳密には「詩」とは異なる文章形体ですが、ここでは表現の都合上「詩」という言葉を使用しています。

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