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for SARA

「まっさらとは何なのか、原点に立ち返ることなのか、原点とは何なのか…」
と、以前ライブ告知の投稿で自問し、その後も思い悩む日々を送っていましたが、そのライブ「solo live for “SARA”」が先日代々木上原hako galleryにて開催され、無事盛況のうちに終わることができました。雨の中来てくださった方々、協力してくれた方々に心からの感謝を。

結果として、自分の原点に立ち返ろうと言いながら新しい曲をやってみたり、新しい楽器やエフェクターを使ってみたり、主催してくださったAtelier ce et ce(セッセ)さんの服を着させてもらい、平山美桜さんに舞台演出をお願いしたり、結局新しいことばかりだったような気もします。でも、その新しいことたちはどれもセッセさんの展示のために色んな方と作り上げた「SARA」というコンセプトから生まれたもので、自然とゆるやかに繋がりあって一つの(敢えて言います)奇跡のような場を形作ることができたのではないかと思います。

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正直、一人でライブをするということには長年どこかしら苦手意識がありました。自分が一人でライブをし始めた時はどうしてもパニックになりがちで、自分の何がよくて何がよくないのか、客観的になれない苛立ちと演奏後に襲ってくる漠然とした後悔に立ち上がれなくなる時も多々ありました。それでも、歌いたい、自分の曲を演奏したいという気持ちはなぜかずーっと抱えていて、闇雲に手探りで一人でライブすることに挑戦し続けて来ました。もちろん負け戦だけじゃなくて、自分でも手応えのあるライブができた時もあるし、熱心に聴いてくださる方にもたくさん出会えて、そのおかげで今でも続けていることができています。
その「手応えのあるライブ」というのは往々にして誰かが呼んでくれたりした時に感じることが多かった気がします。誰かが自分を呼んでくれる、それはつまり自分の音楽を聴く場を一から作ってくれるということです。「古川麦はこういう人で、こういう感じで聴くのがいいんですよ!」という形を示してくれる。自分はそこにパッと出向いて好きに歌うだけ。そりゃあ「手応えのあるライブ」もできるというものです。ライブで重要なことはもしかしたら80%くらいは場を作ることなのかもしれない。どんなコンセプトでその場に人が集まるのか、そしてどんなストーリーで音楽を受け取っていくのか。そこがしっかりしていればいるほど、その場にいる人たちの納得感は当然のことながら高まっていくのを感じます。(余談ですが、自分が旅が多いミュージシャンと捉えられているのは、自分が旅好きだからということよりも、そういう場を提供してもらえるからという甘えもめちゃくちゃあります。呼んでくださった方々、本当にありがとうございます。)

今回のライブは、きっかけはセッセさんからのお声がけでした。そういう意味では呼んでいただいた部類に入るのだけど、セッセさんは北九州からわざわざ東京に出てくる展示でもあり、東京で、しかも馴染みのあるhako galleryでということもあって、半分は自分主催のつもりでやろうと心を決めていました。なので、普段以上に場作りに対して意識が向いたし、自分のアイディアも勝手に推し進めさせてもらって、「SARAというテーマで自分は何を演奏するのか」を客観的に考えることが出来たように思います。そのおかげで、初めてソロのライブをその始めから終わりまで純粋に楽しみました。「手応えのあるライブ」という表現ではもはや生温い、何か確信に近い境地、自分で言うなですが「これは絶対いいライブだ」という確信を持って進められました。何か自分の中でストンと腑に落ちたような、そんな感覚。

ここで得たことはこれからも大事にしていきたい、そう思える場を持てたことが本当に嬉しいです。そしてありがとうございました!

次のライブは7/27下北沢440にて、角銅真実さんとのツーマンライブ!こちらもきっといいライブになるはず。是非お越しください。

http://440.tokyo/events/2021-0727-19/

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