見出し画像

『今を生きろ』人は旅に出る生き物。だから立ち止まってはいけない

久しぶりの執筆になる。

最後に書いたのはいつだろうか。遡る事は出来るが敢えてしない。最初から気紛れで更新すると宣言しているから別にこれぐらいの頻度でも構わない。

おそらく一年以上は空いていたと思うけれど、ここ一年で生活様式は一変した、勿論コロナの影響だ。

SF小説よろしく人から人へ感染する恐怖のコロナウィルス。マスクだらけの異様な世界、アルコール臭い手。最悪だ。

ライブなんてもってのほかという事らしい。本当に最悪。娯楽を提供するスタイルも変わり配信という形がスタンダードになった。

正直、コロナの恐ろしい部分は致死力ではない。

コロナによる自粛が始まってからちょっとした呟きが炎上に繋がったり、不謹慎だと声を荒げる事がフューチャーされる。外に出る事を抑えつけ人が人を監視する。マスク警察、自粛警察なんて言葉も生まれた。

つまるところコロナのせいで露呈したのは、抑えつけられた人間は非常に危険で哀れという事だ。

炎上の理由は一般的にネットの普及という事になっている。匿名の時代からFBの登場により実名と連動する時代へ。時は流れ実名と匿名が共存し、グローバルな情報に耳を傾ける事ができる現代に。Metoo運動を中心した海外フェミニストの情報が日本にも届き、人の価値観そのものがグローバル思考になってきたこと。誰もがそれらの情報を手軽にキャッチ出来る事が要因らしい。

それを敢えて否定したい。コロナの影響により閉鎖的になった人間は自宅から粗探しを続けた。外と遮断された人間は割と危険。これは2000年代に問題になったネオ麦茶事件、会津若松事件等引き篭もりによる過激な事件に通じる部分がある。

生き物にとって、家というのは重要だ。住み家、あるいは巣。

かくいう獏丸も出不精で巣に引きこもり体質。家に籠っている時に幸福を感じる自分が言うのもなんだが、人は外に出る事、人と触れ合う事、旅に出る事が必要な生物らしい。

これは意外だった。他の生物は狩猟という生活様式の上で成り立ち外に出る。畜産を消費する人間という生き物にとって「外」という存在は必要な人にしか必要ないと思っていた。けれど違った。人間は外で呼吸し、外で娯楽を求める。人はそれを旅という。旅行という意味ではなく「出会い」という意味での旅だ。人は仕事や学校が終わり、居酒屋やカラオケ、ライブ、イベントに旅し、巣に帰る。旅がなくなると人は人を傷つけマウントの取り合いを始める。我が家で縄張りを主張し合う九匹の猫達と酷似している。生物の基本はマウンティングなのかな。不要不急なのはやっぱり外(僕らで言う所のライブ)なんだ。

人間の歴史は開拓にある。島から島へ、国から国へ、海を渡り文明を開化させてきた。人と人出会い、直接言葉を交わす事こそが文明発達、平和への一歩だという事。

人生とは旅だという。歩んできた道、これから進む道、それでもこの一分一秒を刻みながら、確実に旅は続いている。過ぎ去った物は美しく思う。懐古主義という言葉もあるが、人は失くした物を尊く思うあまり美化する節がある。なのにも関わらず人は未来への希望を語る。けれども、この瞬間この一瞬に立っているのはかけがえの無い「今」なのだ。今がなければ後ろも前も無い。

人生という旅と、外に出るという旅、それらは必ず直結している。だから人は家に帰る。

今この一瞬を生きる事。コロナ収束後人はまた旅に出る事ができる。その未来に一秒でも早く近づけるために必死に今を生きなければいけない。それは過ぎ去った時間、無くなった物へのせめてもの礼儀でもあると思うから。
また、旅を始めた時、旅を止めていた前よりも少しだけでいいから人に優しくしたいと思う。でも中々出来ないのもまた人間なんだよな。

と、言いながら今日も引き篭もる獏丸でした。

おしまい



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?