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獏丸は仕事が出来ない。だから二択の判断だけは間違えないようにする。

 劣等感を持って生きる事を決して悪だと思っていない。むしろ自分で劣っている部分を肯定した方が意外と物事がスムーズにいく。

 タイトル通り獏丸は仕事が出来ない。仕事の「出来る、出来ない」をどこで区切るかは後述するとして、一般的に仕事が出来る出来ないでいったら自分はおそらく後者だ。が、数年前の獏丸は仕事が出来ない事を認めれないでいた。「自分はもっと仕事出来るはずだ」「本当は仕事が出来る」「実はこうだったのに」自分を大きく見せたいのが人の性。哀れだがそんな物に憑りつかれていて、劣等感を肯定する事が出来なかった。

 それがどうだ。「仕事なんて出来なくてもいいじゃん」と自負するようになったら状況は変わったのだ。元々「仕事が出来る」なんて思っているから高得点を目指そうとするのだ。そもそも仕事が出来ないと思っていれば高得点は目指さない。能力値が低いからなるべく全体の平均値を下げないようにコンディションを下げないよう努力する。この心がけで獏丸は成り立っているといっても過言ではない。

「いやいや高みを目指さないなんてダサいじゃないか!?」

「獏丸毎回博打なイベントやっているじゃん」

そう、ここからが本題なのだ。じゃあ獏丸にとって「仕事が出来る、出来ない」とはなんなのか?

それはズバリ判断を間違えない事だ。

小さな事でも良い。目の前にある選択肢の中で判断を間違えない事。この判断を強引に正解に導いたり、的確な判断をする力こそが、経営力であり仕事力であり、人間力でもあるのだろう。

 しかし残念ながら、生きていると三択なんてもってのほか、四択、五択の選択肢を求められる事なんてザラだ。

 そんな時に獏丸が心がけているのは二択を絶対に間違えない事。三択、四択の中から強引に正解にさせたり、確信的な正解を見つけ出すのは困難だ。仕事が出来なく、能力値が低い獏丸には無理だ。だから二択を迫られた時だけは、選択を間違えないようにする。あるいは間違った正解でも正解に導くようにする。

 二択の場合、主に主観やコンディションが大事になってくる。いわばギャンブルだ。だが、運じゃない。人生や仕事における二択の直面は自分でどうにかする事が出来る。常に目の前に現れる二択をなるべく間違わないようにするために精神的なアベレージを自分の中で決め、それを保ち続ける。だから獏丸はよく「自分は仕事出来る方じゃないのでー」と言い、天狗にならないよう自制する。謙虚ではない、次に繋げるための自制なのだ。

 そんなこんなで何が良いたいかというと、延期になっている悪役現象4だ。獏丸は開催するにあたり最善の選択をしてきたつもりだ。だが、どうだ。現状開催出来ていない。誰かのせいにするつもりはない、コロナのせいでもなんでもない。獏丸の力足らずだ。全ての事柄は自分に直結しているから。

 力足らずなのだが、今回ばかりは開催予定だった会場側が明らかに選択を間違えた。保身に走り、音楽的な理念を忘れ、娯楽的にも経営的にも、ビジネス的にも人間的にも選択を間違えた。

 ハッキリ言おう。彼らは間違った選択をした。

それが誤った選択だと認めさせるために、悪役現象4は1月、別会場に標準を合わせた。この二択は絶対に間違えてはいけない。だからこそ素晴らしい興行にしなければいけない。

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