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はじまりの空気 #磨け感情解像度に寄せて

はじめてnoteという場を見つけておそるおそる登録し、最初の投稿をした頃。

何が嬉しかったかと言うと、まだこんなにたくさん文章を読んだり書いたりすることが好きな人達がいたんだ!という驚きでした。

SNSでどんどん短文化される言葉。内容に関わらず気軽に押せる「いいね」ボタンの出現によって、いつしかコメントさえもハードルの高いコミュニケーションになっていました。

伝わらなさ、わからなさの中に身を投げ入れる、というコミュニケーションの一番の醍醐味を誰もが避けるようになったネットの雰囲気に寂しさと飽きを感じていた頃、まるで地底から発掘された村のように相変わらず泥臭く言葉を紡ぎ合っているnoteという場を見つけてわくわくしたことを覚えています。

それからしばらくして、情報ビジネスとかマネタイズみたいなことが目につくようになり(もしかしたら自分からそういうものを見に行ってしまっていたのかもしれませんが)、なんとなくnoteから離れてしまいました。

そして今回ふと戻ってきて #磨け感情解像度 というハッシュタグを目にして、なんだか知らないうちにここでまた面白そうなことが起こっている!と久しぶりにわくわくしました。

何の準備も出来ていないし前後のムードも理解出来ていないけれど、わくわくだけで飛び込んでみたいと思い、まぶしいかげという短文を応募しました。

ちなみに受賞者が発表されるよりもずっと前に、私は思いがけない副賞を手にすることになりました。

記事を投稿したまさにその日に、文中に登場する500円の君から連絡が来たのです。文章にするくらい100年前の存在になっていたその人からの突然の連絡に私は戸惑い、一瞬感謝も忘れ、なんか裏があるんじゃねえのか、といぶかしんでしまいました。その人はただ500円をくれた時と何も変わらず、コロナで私の仕事が駄目になっていないか心配してくれたようです。彼が持って行った荷物の中には、いつまでも心配なままの姿の私のかげが入っているのかもしれません。

余談はさておき、コンテストに参加して、久しぶりに日々わくわくした気持ちでnoteを眺める時間が過ごせました。

私は物を作る仕事をしているので、自分にはない才能を持った「場を作る人たち」に強い憧れがあります。

それは川べりに誰でも腰かけて川が眺められるようにベンチを置く、といった日常的な企みから、今回の #磨け感情解像度 のような多くの人を巻き込んでいくお祭りのような非日常の企みまで。

物理的にだけではなく心理的な意味も含めて、誰かの居場所や時間を作り出す仕事。

私のような飛び入りの者を含めた多くの人にとって、きっとはじまりの空気、あるいははじまりの時の気持ちを思い出させるさわやかな空気が流れているコンテストだったのではないかな、と勝手な個人的な感想ですが、そんな風に感じました。

そんな素敵な場に参加出来たこと、嬉しく思います。場を作って下さった主催者の方々、それから記事を読んで下さったみなさん、ありがとうございました。

わくわくした気持ちが残っているうちに、また新たな挑戦をしてみようと思います。





と、いうわけで今日から、ヤヤナギさんが企画された #100日間連続投稿マラソン に参加してみます。

また見切り発車の飛び込みですが、何か結果を求めるというよりは、ただやってみたいという気持ちに正直に乗っかってみようと思います。

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