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届くメールが「自分」フォルダに行き始めたら、次のフェーズへ。

私は肩書きや組織力を誇張するための名刺を必要としない生き方が好きであるがゆえに、17年前に1人になったはずだ。みなさんも5年後の自分を考えてみよう。


17年前の私はなぜ独立を選んだのか

ちょうど30歳のはじめ、新しく法人化する会社の代表に引き抜きの話を貰った。事業に興味がなかった訳でなく、その事業の将来について期待を持てなかったから丁寧にお断りした。他にも市内のプロダクションから引き抜きがあったけど、それも全てお断りした。理由はカンタン。したいことではなかったから。

では、17年前の今頃、なぜ私は起業という選択をしたのか。
それは「ぼくにしか出来ない事をしてみたい」という小さな理由からだった。

「事業展開」などの図式だけに捕らわれた生き方は苦手で、とにかくだれかと同じ事をするのが嫌で、自分の描く事を実現するために生かされているんだという感覚がどこかに潜んでいた。

誰かと競うや、誰かに追いつく、などという前のめりな精神は持ち合わせていなくって、ただ単に「自分が思う正しい」を没頭したいというシンプルなものだった。

そうは言えども理想ばかりでは生きて行けない。
特に悩みでは無かったが、理想と現実の壁があったのかもしれない。

生きるためには何でもやった。5cm四方の小さな広告枠制作や、1つ2,000円程度のバナー制作、紙媒体はしませんよって言っても依頼してくる代理店には、ハガキのデザインも協力した。

受信トレイにはそれぞれのプロジェクトのフォルダが存在し、このフォルダを中心に日々にタスク管理を実行していた事を思い出す。
どれも「楽しい」と「苦しい」が交差する思い出。


「納品業」は楽しい

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創造性、独創性、そんなものはどうでもいい。それよりもオーダーに合わせた製品を創り上げる事が大切。クライアントが求めるモノに少しのエキスを足した制作物を量産することで、当時の生活が成り立っていたのもある。これって、オーダーを受けてから淡々とオペをする「納品業」。デザインはお任せします!と言われて自分なりに作っても、やっぱりこういう風に作ってくれない?というクライアントに、毎日アタマ下げながら作り続けた。ありがちだよね。

この「納品業」から学んだもの
これはぼくだけの感覚だけども、単純なオペレーション的な作業中に「この製品をどこまで愛すことができるか」という自問自答をすることで、「つまらない」や「やっつけ」などの感覚へ逃げない工夫をしていた。全く興味がない業界の広告物でもやり尽くせることは全て注入することで一定の愛情が生まれる事を経験していました。

自分の肌にあわないから傍観しながら納品するような事ではなく、いまの自分に必要なものという解釈を植え付ける技術を学びました。


「クリエイティブ」という古語

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デザイン業界における担当者が、名刺に「クリエイター(Creator)」と表記していたら気をつけろ!と心から言いたい。

結局は作品の評価がその方をクリエイティブとするか否かなので、自身から冠をつけてしまっているようであれば、目も当てられない。

クリエイティブという単語は30年ほど前に初めてきいた単語。当時大学の行き先を考えていた際に、アメリカの美大のリフレットを手に取って発見した。「創造力」や「独創的」などの説明があったのを覚えている。

そのクリエイティブという単語にまとわりついて生きてきた瞬間は大学時代だけで、以降は「オオサワバク」という生き物へ執着する事にしている。
そう、「クリエイティブ」は僕にとって言語の一端で登場すだけで、真似や追いかける存在ではない。


「名刺」を必要としない自分へ

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事業として起業をする理由は何であれ、商品を提供をすることでその代価を頂き、会社や生活を賄うことができる。それは提供サービスを必要とするクライアントがいるからこそ生かされるシステムで、ビジネス同士であっても開発側と一般であっても同じ図式になるでしょう。

ニーズがあって作る人がいる、もしくは作る人がいて、それを欲しがる人がいる。社会と経済の仕組みはそんな流れでできているんだろう。と、温く考える日々。この先もずっとこの循環は繰り返されるでしょう。

では、自分はどうだろうか。

社会が気づかないニーズを企画・運営することで、社会から頂く仕事とは別に、仕事や活動を創り出していくことができるのではないだろうか、と昔から考えてきた。誰も創り出せない汎用性がきかない自分だけのコンテンツを創造することで、体験したことがない空間と瞬間が生まれるのでは?と。

みなさんも5年後の自分を考えてみよう。自宅から職場へ、たまに友人と会ってSNSで共感しあって、の繰り返しが悪いということではない。
私は、肩書きや名目、組織力を誇張するための名刺(他力)を必要としない生き方が好きであるがゆえに、17年前に1人になったはずだ。だからこのスタイルが好きで辞められないのが本心のところ。名前だけでたくさんの事をシェアできるのであれば、それはそれで自然に任せた美しい人付き合いになるのではないかな。

業務的なフォルダに業務的なメールが届いたフェーズが終わり、これからは自分フォルダへ連絡が入り始める。その時こそ、思いっきり離陸する瞬間であることを知っている。

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