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言葉より行動

こんにちは。

いろんなところで言われることですが、言葉より行動が大切だと私自身も思います。
だいたいこの言葉自体は何かチャレンジするときに言われることが多いですが、先日違った形で実感することがありました。

昔よく仕事をしてもらっていた職人さんが脳梗塞で倒れたという話を人伝で聞いておりました。
その方は50代で決して若いわけではありませんが、業界的には高齢というわけでもなく、仕事をまだまだやれる歳です。
また、仕事も速くて上手いことは周りの人は誰しも知っており、その報告を受けた時はとてもショックでした。
いわゆる一人親方ではありましたが、とある会社の下請けとしてよく出入りしているためその会社に依頼をすれば来てくれることも多く、来てくれれば仕事に対して安心してしまうことも多々ありました。
そんな彼が脳梗塞で倒れたため、仕事をリタイアしたという噂を聞いておりましたが、つい先日そのとある会社の社長に仕事の件で連絡をするついでに、彼のその後についても恐る恐る聞いてみたのですが、麻痺は少しあるものの動けるまでに回復しているとのことでした。
さらに一人で行動するには懸念も多いため、これまで通りと言うわけにはいかないが、2人以上の作業があるときは依頼することもあるとのことでした。
正直に言って、内心ホッとしました。
仕事を見たことがある故に、少し救われた気持ちにもなりました。
しかし、一方で建築現場はどこまでいっても危険がある場所でもあります。
社長からの話でも、危険が伴うような作業はさせられないどころか、脚立にすら上げさせていないとのことでした。
それであってもやはり依頼する立場からすれば、リスクはあります。
さらに社会の目を気にすれば、そんな状態の人を使ってまで仕事をする必要があるのかと言われてもしょうがないように感じます。

実際のところ、とある会社は零細企業であり特別大きな資本があるわけではないはずです。
そうであっても仕事には困っておらず、さらに彼をわざわざ起用しなくとも業務は遂行出来る状態でもあります。
彼自身もまだ年金までは時間があるものの、公共サービスなどで生活することも出来る可能性もありますし、そもそも建築現場に行かないような仕事をやれば良いだけの話でもあります。
別の言い方をすれば、職人としての道は途絶えてしまったけれども、別の道に進むことをしなかったとも言えます。
勝手な解釈ではありますが、これまでずっと職人として働いてきたため、別のことをするのは難しいと思うこともあるでしょう。
新しいことをするには年齢的な不安もあったと思います。
そのため、リスクはあるもののこれまでの経験から実施しやすい職人という道を選んだのだと想像します。
あえて悪く言えば、安直な判断とも取れますが、いざ別の道を選ぶのは簡単なことではないとも思います。

一方で、彼に仕事を依頼する会社としてもこれまでのよしみということで使ってあげてるということにはなります。
なあなあの関係と言われかねず、仕事に対して不誠実だと言う方がいてもおかしくはないかもしれません。
実際どこまで考えて彼に仕事をお願いしているかはわかりませんが、自分であったらそのような行動が出来るかを考えると、それもまた簡単ではないように思えました。
先に述べたことへの言い訳も正直出来ませんし、何より彼に支払う報酬を他の人と区別する必要も出てきます。
周囲に対しても、当人に対しても何かしらのわだかまりが生じてしまうため、受け入れられるかは非常に疑問です。
あくまで仕事の関係なのだからと、状況を考慮して依頼しないことが合理的であり、多数の人への配慮となることでしょう。
そんなことは言われなくてもわかっているはずなので、それでも依頼している社長には感銘せずにはいられませんでした。
もし、何か問題があればすぐに指摘されることは想像に容易く、彼自身が怪我をする可能性だって少ない可能性ではありません。
それを受け入れて依頼することは、安易だと言われればそれまでですが、私なら受け入れ難いでしょう。

私自身、関係者であり思い入れもあるため、彼らに寄った気持ちはありますが、その行動が正しかったとも思えないのが正直なところです。
ただ社長の行動がどうであれ、そこに強い意志があるように思えました。
ダラダラと曖昧な状況にするわけではなく、依頼しないという選択はしないで、条件を決めて依頼すると決心して行動していることに、社長の思いや責任感のようなものが見えたような気がしました。
繰り返しになりますが、それが善良で最良の判断かは計りかねます。
しかし、その行動によって言葉より明確な、人となりを感じることが出来たという話でした。

では、また。

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