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ディミトリ・パパイオアヌー『The Great Tamer』・舞台装置やデザインがすごかったnote

ピナ・バウシュの後継者

ピナ・バウシュ亡き後のヴッパタール舞踊団の振付家としても活動、とのことだったが、ダンスで身体の限界に挑むというよりも、小道具を多用したパフォーミングアートの趣が強い。
途中、男性ダンサーのソロのダンスシーンがある。螺旋構造や人体の生命、鼓動を感じる素晴らしいものだったが、もっと見たい、というのが個人的に正直なところ。

ダイナミックな舞台装置

とはいえ幕間・暗転が一切無い2時間近くの舞台にもかかわらず、何層にも重ねられたプレートや、麦の矢などの小道具の秀逸なアイデアによる飽きさせない構成は素晴らしい。セリフの一切ないパフォーマンスが、人類の歴史の重層性を垣間見せるほどの饒舌さでもって表現される事にただただ驚嘆した。

主に西洋の名画をモチーフにしたビジュアルの引用を数多く用いた手法が特徴。名画のワンシーンを模した演者によって描かれる世界は、表層の寓意性を超えて神秘的なまでの世界観を獲得するに至る。
頭の片隅に残る記憶の断片を繋ぎ合わせさせることで、観る者それぞれが思い描く世界への眼差しをより深化させるのではないだろうか。

舞台・オブジェの設計とデザイン

一方で、小道具や大道具の使い方、アイデアや演出は素晴らしく、特にプレートが何層にも重ねられた波打つ舞台装置は圧巻。舞台の下からパフォーマー、土や水、人骨まで掘り起こされ、テンポが自在に変わる音楽『美しく青きドナウ』と相まって独特の世界観の確立に大きく寄与している。

また、ギプスが割れて落ちる様子、布のはためく音、ダンスによって舞う土埃など、、、身近にあるマテリアルを徹底的に追究し演出に活かすという点も素晴らしかった。
パフォーマーの身体による関係性に加え、マテリアルというもう1つの相が加わることで、より複雑に、効果的な表現を実現したと言えるのではないか。

麦の矢による場面転換

矢の束を宙に投げ、落ちる時に鏃が地面に突き刺さる。刺さった矢は色と形状が麦に見え、大きく舞台が転換したように見える。
幕を下ろしたり暗転させたりすれば簡単に済みそうなものだが、こうした小道具による、10数秒での大きな転換は、ここだけでも観る価値があるのでは。

なんとなくの想像だけど、ある程度しなって比較的軽い4ー50センチ程度の樹脂のロッドの先端にウエイトと鏃を加工してつけてるっぽい。ウエイトのバランスで地面のプレートに突き刺さるのでは。

地面のプレートも樹脂?の板で軽くて一人で持ち上げられ、しなる素材。サイズはシハチ程度。穴の空いた地面の上には合板など厚みのある素材も用いられている。

最後のシーンで人骨が掘り起こされるが、全身の骨を埋めているのは15センチほどの厚みのグレーの発泡スチロール。頭蓋骨だけテグスで落ちるタイミングを操作してる(多分)。
遠くからはほとんど判別できなさそうだが、そうした細かい設計の積み重ねがパフォーマンス全体のクオリティを底上げしているのかなぁと思いました。

最後のシーン、せり上がった床から男性ダンサー何人もが重なり会いながら手前に向かって迫ってくるシーンは、言葉では表現しきれないような衝撃的なものでした、、、よい子のみんなはYouTubeで観よう。

ピナ・バウシュ以来10年以上コンテンポラリーダンスの舞台を観ることはなかったけど、パパイオアヌーは観られてよかった!今回が初来日とのことで、また日本で公演してくれると嬉しい。(舞台の後に、彫刻家の名和晃平さんとの対談もあり、充実したプログラムでした)

「THE GREAT TAMER」日本公演特設サイト
もあるようで、興味のある方は是非みてもらうと面白いのでは。

演出小物

以下、ちょっと多かったんじゃないか、覚えている限りの小物の一覧。
靴、服、下着、土、布、地面のプレート、水、矢のように飛ぶ麦、骸骨、石、宇宙服、砂埃、根の生えた靴、天井から吊り下げられたロープ、りんご、本、ドクロ、スプリングのチューブ、ギプス、テーブル、手術用具、お皿、グラス、抱えるほどのサイズの地球儀、アルミホイル?、透明の球状のスライム?、アクリル板、植木鉢、スツール、竹馬、向日葵を模した帽子、黒いゴミ袋、食べられる羽根?、速度の変わる音楽

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