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矛盾、トランス、メメント・モリ

記憶は幻想であり、それらは元々、失われている。現実とは今ここにある時間であり、シークエンスであり、存在するものは今、ここに存在するものである。

そもそもの発端は、君の自由落下にある。生と死の矛盾との間にある君自身という存在の不可思議さに私は困惑する。

我々が傷を負い、火を焚き付け、刃を胸にしたあの瞬間はだから、そうしたものたちへ宛てられた招待状であり、我々はだから、その瞬間に於ける彼等の存在を忘れることができないのである。死への儀式とは我々生者の持っている茫漠とした普遍的な時間という概念から死者を切り離すための作業に過ぎない。そしてそれは或いは、彼等をそのセカイへと誘う導線であるとも言える。

それでも失われたものとしての幻想を想うのは、記憶の誘惑か、身体に対する導線なのか、それはわからない。ただ、言葉が人間の身体と精神を分けたのだとしたら、我々の抱えるジレンマはそこにあるのではないだろうかと思うーm/sとD▲は記号である。そして、それが我々を象徴界から追い出すある種のトランスなのである。


あなたにそっとよりそう闇に、その奥にうっすらと見える扉に、今は手をかけないとしても、お互いの存在を認めることでそれぞれのフェイズが融解するーその体験、或るいはその瞬間をメメント・モリという。

トゥールーズの同胞よ、呪われた恍惚の瞬間に、永遠という時を生きる彼等への眼差しに、我々は心の何処かで侮蔑を孕んでいる。

はげしく陰鬱なる感情のけいれんに、今はただ、そっとよりそうことしかできない。

そしてそれが、それしかできないという事実こそが、我々生者からの精一杯の弔いなのであると今は思う。セイラムの灰になるその朝まで、我々は今はまだ、まっ黒な憂鬱の闇の中で宛名を書き続ける

ーお祈りなさい、病気のひとよ。

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『sabbat』
2013/4/19〜2013/4/24@Aichi,Japan

パフォーマンス・展示


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