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その家からは、ハーレーが

 その家からは、ときどきハーレーが出てきていた。
 乗っているのは、いかにもアメリカン・バイクが好きそうな長髪に髭をたくわえた男性。ゴーグル越しの眼のまわりには、まだ若いと言えそうな表情が見える。装着した半キャップ姿に、くわえ煙草が印象的だった。
 出ていく時間も不定期で、どこに行くかもわからない。革ジャン姿で季節を問わず、近所中に響きわたる排気音をあげて家から飛び出していった。
 ほかにその家から出るものといえば、老婆ぐらいだった。老婆は曲がった腰に箒とちりとりを持って、落ち葉を拾い集めていた。ときどき近所の主婦と話しては、笑いながら手のひらを左右に振っていた。

 その家からは、いつもハーレーが出てきていた。
 真夏に似合わない長髪と、胸あたりまで伸びた髭を揺らし、相変わらずくわえ煙草で疾走していった。真夏でも革ジャン姿ということは、長時間のツーリングか何かかもしれない。出る頻度のわりに、ハーレー本体は常にピカピカだった。
 ほぼ毎日、午前中の不規則な時間に、ハーレーは飛び出していった。不思議なことだが、帰ってくるときの排気音はあまり記憶にない。
 一方で老婆は、いつも決まった時間に家を出ていた。時間によって「箒とちりとり」は「中身の入った地域指定ゴミ袋」になっていたり、あるいは「シニア用ショッピング・カート」になり、そこへ買い物袋を入れて帰ってくることもある。しかしそれらの時間や曜日は、まるで機械のように正確だった。

 ある日のこと。
 その家の前に救急車が停まっていた。
 誰が搬送されたのか、そもそもその家の人間が搬送されたのか、もしかしたら近所の人間なのか、いっさいわからない。それ以前に、応急措置で搬送もされなかったかもしれない。誰がどういった理由で救急車を呼び、誰がどうなってどうしたのかも、近所付き合いがない自分にはわからない。それを知ろうとする野次馬根性もない。
 ただ確実にあった変化は、
 毎日、飛び出していったハーレーが、数日間まったく出てこなかったことだ。

 その家からは、いつもハーレーが出てくるようになった。
 乗っているのは、髪の毛さえ見えないフル・フェイスのヘルメットに、スーツ姿の清潔な風体をした男性。別人というわけではなく、かつての長髪と髭の男性のようだった。
 毎日決まった時間に出て、決まった時間に戻ってくる。心なしか排気音も小さくなり、よく見るとマフラーの上に音を抑制するサイレンサーが付いていた。
 一方、老婆の姿は見かけなくなった。

 ある日のこと。
 その家の前に停まったトラックの荷台に、古めかしい箪笥や化粧台が積まれていた。見るからに年代物の、数十年前のデザインであることは一目瞭然。その家の空気すべてを吸い込んでいるかのように濃い茶色は、まるで家の血液のように見えた。

 その家から、ハーレーが運び出された。
 ハーレーは手入れもされず、すっかり汚くなっている。衝突キズや転倒キズはないものの、金属部分にもれなく赤サビが浮いていた。
 赤いスタッフ・ジャンパーを着た男性が軽トラックにハーレーを乗せ、書類を見ながら電卓を打ち込んでいた。男性は姿も見せなかった。

 その家からは、軽自動車が毎日出てくるようになった。
 決まった時間に出て、決まった時間に戻ってくる。あるいは、助手席に買い物袋や女性を乗せていることもある。
 ハーレーの音はしなくなったが、軽自動車はマニュアル車のようで、ギアの切り替わる音が印象的だった。
 しかし男性はもう、くわえ煙草はしなくなっていた。


 そしてその家からは、
 今はランドセルを背負った小さな男の子が、出入りするようになっている。

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