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自立系武闘派女子がロックマン彼氏との戦争に終止符を打とうとしている話。


彼との関係に頭を悩ませ続けていた日々に一筋の光が差し込み、視界がファッとクリアになったのは根本師匠のnoteおよびブログに出会ってからだ。本当に勉強になることばかりで、出会えてよかったと心から感謝している。一度も課金していないのでおこがましいのだが、直接感謝を伝えたいし根本師匠に「よかったねーーーーーーーーー!!!好きにしなーーー!!!」と言ってほしい。



私は、”仕事柄家には居ないし自己主張も少ない穏やかな父”と”娘の為に生きてる!私の娘最高!な過保護母”の元で一人っ子として育った。実態はそこまで裕福ではないものの何不自由なく育てられ、世間的には「お嬢様」にカテゴライズされ、どんな環境でも私を「姫」と呼ぶ人を生んでしまい、私自身、自分を「世間知らずの甘ったれたわがまま娘」だと思って生きてきた。

元夫とは長い付き合いで親友のようだったが、次第に彼を尊敬できなくなり大事にできなくなり、彼も自信を無くしていき、まるでカップルが別れるように自然と平和に離婚した。


離婚後は実家に帰らず、20代後半にして初めての一人暮らしを選び世間に放たれたものの、「一人ってこんなに最高なの!??もう人と一緒に暮らせねえ!!」とサバンナをお花畑のように楽しむマインドを手に入れてしまった。正確には”手に入れた”のではなく、”もともと持っていた”私の中のサバイバー精神が生きがいを感じられる環境に辿り着いただけかもしれない。

結婚の時は全部任せていた家具の組み立ても楽しくやってのけたし、自分の生活にまつわるアレコレを全部自分で決められることに何の負担も感じなかった。一人焼肉も一人映画も朝飯前。趣味のために一人で海外にも行った。私はそんな日々に「大人になった」感覚さえ覚えていて、私は毎日満たされていた。

そうしてひとしきり趣味や自分の時間を満喫した私は、気づけば漠然とした不安と焦りに襲われていた。

「これからの人生ずっと一人なのか?」
「それなら老後はどうやって生きていく?いくら貯める?」
「マンションでも買っておく?」
「なんかあった時親も住めるし、貸してもいいし」
「親のこれからは私一人でみなきゃ」
「でも本当に私にできる?こんな甘ったれなのに?」

この時点でまだ自立系武闘派女子だと自覚していないくせに、私は収入を増やすために転職をし、副業を始め、「男なんて高いところの電球変える時くらいしか必要だと思わないんだよな」と心底思いながらも「本当は誰かに頼りたい、味方が欲しい、助けを求められる存在が欲しい」と心底叫んでいた。(これに気付くのはもう少しあとのこと)


そんな中で出会ったのが同い年で経営者の彼だった。

彼もバツイチ。本当に偶然の出会いなので共通の知り合いも居ない。だから彼が本当は何者なのか分からない。それでも「この人のために今まで生きてきた」と思ってしまうくらいの衝撃的な愛情を一瞬で抱えてしまった。自分を漫画のヒロインだと思ってるの?という突っ込みは盛大に受け付ける。さらに私の役作りを勢いづけたのが、彼も同じように思ってしまったことだった。彼は私が言うよりも早くその衝撃を伝えてきたもんだから、私は「一人で頑張ってきたか弱い私にも白馬の王子様が現れた!」とお姫様モードで猪突猛進するのだ。


「経営者だから時間を無駄にさせないで」
「周りの幸せのために頑張ってる」
「大事な人ほど放置しちゃうけどそれは大事だから」
「理解して」
「私の全部あげるよ」
「ずっと一緒に居るよ」
「会えないと寂しいよ、でも大丈夫だよ」
「理解してるよ」


でも私の本当の姿は自立系武闘派女子で、彼は自立系俺様ロックマンだった。

「愛してる」「俺のものになって」と世界に一つだけと思わせる糖度150%の蜜を差し出したかと思えば、「信じられない」「めんどくさいから終わろう」「僕じゃない方が良いと思う」と北極の海に突き落とされる。これを週単位で繰り返された。居酒屋に入って10分で理由も言わずに帰られ、「おわろっか!」とLINEが入ったこともあった。幕末武士のように「一度決めたこの意思。時代の流れに逆らってでもそう簡単には投げ出さぬ」精神の私には宇宙の果てを探すよりも難しい彼。「思っても無いことは言葉にできない」という性質のせいで、彼のことも同様に見ていた。分単位で方角が変わる言葉も心の奥底までえぐってくる鎌も、全部真正面から全力で受け止めていた。「価値観が合わないのなんて当たり前でしょ!ちゃんと向き合って解決していくものでしょ!」と言いながらも、喧嘩の度に人格や過去を否定され、彼が酷い言葉を言うのは私のせいなんだというとんでもなく悪臭たちこめる沼に自ら潜り込み、それでもなお「幸せになれるなら、あなたが私を信じられるようになるなら何でもする」と一生懸命だった。

でもそんなの長く続くわけなかった。彼の地雷を踏まないことが第一優先事項となり、彼の顔色を窺い、彼にとっての正解は何か?を毎日毎時間毎分毎秒考えていた私は「自分ってどんな人間だったっけ?」と絵に描いたように自我を失い、「もう無理!!!こんなの私じゃない!!!」と武士による武士のための「別れよう」を突き付けて彼から離れた。

再び自分の生活を取り戻した私は、リハビリと称して外出の予定をたくさんつくり友達ともたくさん会った。「もう疑われることないんだよね?」「今日でかけて大丈夫だよね?」というドキドキを抱えながらサバンナに舞い戻ったのだ。私は正しい選択をしたと思いながらも、一時期はご飯も食べられないくらい落ち込んだ。今までの人生、落ち込んだことも傷ついたと自覚したことも無かったのに。

なんでダメだったんだろう?
お互い一緒に居たいだけだったのに
なんで大事にしあえなかったんだろう?
なんで私の愛は届かなかったんだろう?

そんなことをぐるぐる考えていたわけだが、当たり前である。だって私達大戦争してたんだから。自立×自立の主導権争い。しかも人生初にして最大の敵と。そりゃボロボロにもなる。

持ち前の強さで必死にナイアガラの滝壺から這い上がっている間、ずっと彼から不在着信が入っていた。しばらくはナイアガラの水流に必死でシャットダウンしていたが、「武士として二言は無い」という自分と「彼には私の愛が届いているはず」という自分が戦っていた。はあ、本当に戦争が好きなのね。

結局、彼とは復縁した。
彼は大反省をしてきた。本当に傷付いたし本当に沼は臭かったし本当にナイアガラの滝壺も大変だったし私は武士だけど、やっぱり彼と一緒に居たかった。私が勝者となって再構築していたが、いくら大反省していてもそんなの彼が耐えられるわけない。「何で俺がそんな悪者なの~~!!!!!」と突然爆発し、「え、私は過去の教訓から私らしく居ただけなんだけど」「私が私で居られないなら無理かもしれん」「てかお前、”俺が全部悪かった”んじゃないんか?」と戦闘モードに入りつつ、「ごめんね(しゅん)」の姿勢で乗り切る作戦をとるようにした。


その後の彼は比較的落ち着いたものの、人格否定と突然のシャットダウンは何度か繰り返された。彼はいつも「経営者だから」と言っていたが、「本当に全部経営者だからなの?彼自身の問題は無いの?ただ逃げてるだけじゃない?」と私はずっと悩んではいたのだけど、彼の言葉に振り回されることは減らすことができた。いいのか悪いのか、「別れよう」も「それやばいよ」も「浮気してるの?」も、私にはほとんど響かなくなった。


綱が太くなっただけで綱渡りなのは変わらないよと言える状況で電話とLINEは毎日欠かさなかったのだが、彼の仕事が忙しくなり会う頻度も連絡も激減した。

私は、寂しくなった。
ただただシンプルに寂しいのだ。
我慢することはできる。
会いたい気持ちが募りすぎて涙を流す夜があったとしても「一か月会えなくても大丈夫だよ」と自分の言葉に自分を縛り付けて本心を隠してストイックに待ち続けることはできる。

でもそんなのが長く続けられるわけがない。うんちをずっと腸に溜めておくのと同じで、溜め続けた感情はいつか自分を突き破って想像以上の威力をもって暴れまわってしまうことは分かっていた。


彼を変えるより、自分が変わろう

頭ではわかっていてもなかなか落とし込めなかった恋愛指南モノの常套句、本気でできるのか、本気で考えて、本気で戦った。だって変えなきゃいけないのは私の理想だ。「会うことが幸せ、連絡を取ることが愛、そのためならどれだけでも頑張る」という私が、「会わなくても幸せ、連絡が全てではない、仕事を頑張ることも愛、そのために時間を作れないこともある」という思考回路に書き換えるのは至難の業で、ジキルとハイドみたいに「本当に頑張って欲しい」と思う日もあれば「何で会いたい時に会えないの?」としくしくする日もあった。こんな苦労するほど彼と一緒に居たいのか?こんなことする必要があるのか?こんなことしなくても幸せを感じさせてくれる人は居るんじゃないか?ずっと自問自答していた。

もう1つ問題だったのが、「自分を満たそうとすると彼が不要に感じる」感覚だった。そう、あの「男なんて高いところの電球変える時くらいしか必要だと思わないんだよな」マインドである。

それに向き合った結果、私は気付いた。自分の100を、彼用に40あけているんだと。だから彼と一緒に居れないと満たされないし、自分で100を埋めてしまうと、彼のスペースが無くなってしまう。でもそもそも100って何?自分の幸せや満足度に限界などあるんだろうか?


私はサバンナをお花畑だと思える女である。
どんな状態でも、〈自分が幸せにならないわけがない〉と現実を受け入れてきた。毎日生きて働いてるだけで偉いと本気で思えるし、世界中の皆に対しても思っている。だから人生における自己肯定感はものすごく高かった。
そんな自分の幸せに私は上限を設けていて、〈今幸せだからこれ以上要らない〉と勝手に決めつけていたんだと。


彼と過ごした時間の中で、私は少しずつ自分の中を整理できていた。長い時間をかけてひとつひとつクリアにしていく度にスッキリして楽にはなっていた。それでもモヤモヤは終わらなくて、毎日のようにネットを漁りまくり、自分の思考回路をぴったり組み替えられるような言葉が無いか探していた。

そして出会ったのが根本師匠のブログであり、自立系武闘派女子である。
まず師匠のブログに出会って驚いたのは、「これって私が送った?」と思うくらい私と同じ感覚を持っている方がわんさか居るということ。そのブログに綴られている一文字一文字が「分かる」の嵐だった。
私を理解してくれる友達はたくさん居るけれど、完全な自立系武闘派女子はなかなか居ないように感じる。だからこそ、「もっとこう考えてみなよ!」「もっとこうなっていいんだよ!」と沢山のことを教えてくれるのだが、それがなかなかできない私は〈できない私がおかしい〉のだと思っていた。〈みんなみたいにできないから上手くいかない〉〈できないと幸せになれない〉んだと。もちろん結婚して子供も産んで幸せに暮らしている友達の言葉だから、〈できた方が良い〉ということではあるんだけど、それは〈=できないからダメ〉ではないんだと知ることができた。

そして、私はエコバッグではなくヴィトンのバッグであること。
元々離婚によって「一生一緒に居ようと思った彼ですら私を諦めたんだからもう一緒に居れる人なんて居ない」という意識は自然と芽生えていたし(きっと離婚経験者なら少なからず共感してくれると思う)、彼から否定されたり、なかなかうまくいかなかったりする度に「私はこれ以上どうすればいいのか?」をずっと考えていた。それは自分に能力がないというか、自分が至らないが故に起きていることだと捉えていたからで、「すでにたくさんのことをやって十分頑張っている」という事実をスルーしていた。いや、自覚はあったのだけど結果が出てこないということは間違っているんだと考えていた。かといって、”頑張らない”がどういうことなのか分からない。頑張らないとダメになる気がしていたし、ダメになったら頑張った意味がなくなると思っていたし、頑張ることが正だと思っていたから。でもとにかく頑張らなくたって私はいい女なんだと言い聞かせてみること、自分のやってきたことをちゃんと認めてあげることが大事なんだと知ることができた。

それをさらに掘り下げれば、私は私の当たり前基準が高いのかもしれないと思った。前の結婚では〈家をいつも綺麗に保って、料理を作って、外見にも気を使って仕事も頑張る〉私で居たのだけど、もしかしたら巷の奥様方は〈ちょっとくらい散らかっててもよくて、料理もつくったりつくらなかったり、だんだん太っていったり楽な服を選ぶようになったり仕事をやめたり〉と、力を入れずに生きているのかもしれない。それが男の人には〈俺も頑張らなくたっていいんだ〉と安心感を与えたり、〈自分の方がかっこいいぞ〉と思わせられたりするのかもしれない。私だって無理してそうしていたわけではなくて、ただそれが当たり前で苦痛でもなんでもないからやっていたのだ。それを軽くやってのけて「別に当たり前だよ、あなたに特別何かを求めてるわけじゃないよ」と言い放ってしまうくらい、〈いい女〉だったのだ。それが男の人には時に負担になり、自信をなくさせてしまうとは気づかずに。


さらに、私は彼と戦っていたことも自覚した。自分が正だと思いすぎてしまうからこそ、彼を間違っていることにしたいし、彼を変えたいし、彼にも自分と同じだけ2人の関係に立ち向かってほしいと考えていた。彼を変えようとするのは無理だと分かっていても無意識に〈期待〉をして勝手に〈裏切られ〉て勝手に彼を〈悪い男〉にしていた。「期待と信頼ってなに?期待をやめたらどうでもよくなっちゃう。どうやって信頼してどうやったら安心できるの?」と心底頭を悩ませて、「私より強い男居ないの?」とずっと思っていたのである。うん、居ないんだ。

どうしても男の人を見下してしまうのも、うまく立てられないのも、ついバズーカ(正論)をぶっ放して打ち負かしちゃうのも、スムーズに関われない彼を選んで傷ついたり悩み続けるのも
全部私の悪いところだと思ってきた。

実際褒められたことではないんだけど、ただ性格が悪いとかそういうことではなくて、そうなるべくしてなってしまうくらい私は強くていい女という見方は私の心を楽にしてくれる特効薬となった。

だからまずは、〈だって仕方ないじゃん!今まで強くならざるを得ない人生を送ってきたんだし、男はみんな弱っちく見えるし、私は十分頑張ってきたし、ヴィトンのバッグだから男が自信を無くしちゃう。それが私だもの〉を全力でやってみた。

彼の気持ちを考えて「今の私って正解なのかな」と考えてしまう前に「私はいい女」と言い聞かせてみる。ふと不安になるたびに「私のペースで大丈夫」と言い聞かせてみる。時には「根本師匠がそう言ってくれているだけでただの勘違い女なんじゃないか?」と思ったりもした。それでも「自分が楽な状態、無理しない状態でいい」ととにかく言い聞かせた。(こういうのを頑張っちゃうのも自武女子)

それを続けたら、気づけば本当に楽になっていた。私の脳みそレベルではうまく言語化できないけれど、とにかく今まで難しいと思っていたことがスルスルと解けていくような感覚。

彼への見方と私の思考回路が自然と変わった。彼はあまりにもハードワーカーで本当に心配になるし、仕事優先過ぎて本当に恋愛と両立はできないし、無価値感も罪悪感も強いしすぐ不安定になって私を遠ざけようとする。だから私はイライラしていたし、もっとうまくやんなよ!と思っていたし、頼らせてよ!何考えてるか分からん!とも思っていた。
でも、彼は中途半端なことはしない。自分の利だけを考えて私に嘘をつくようなこともしない。自分の利を考えた時は、言い方を変えてでも私に言ってしまうのが彼である。言葉では何と言ったって私と本気で別れようとしたことはないし(正確には別れきれない)、私を本気で嫌いになったことはない。私を幸せにできるか不安で、またダメになってしまうのが怖くて、高い理想に辿り着けていない自分が嫌になって、仕事で精いっぱいすぎて余裕がないのだ。
文字にしてしまうと「それってダメじゃん」と言われるかもしれないけど、確かにそうかもしれないけど、仕事より愛に生きる男は実際嫌だし、彼は愛をたくさんもっている。今までだったらそんな彼のあらゆる部分を「いやだからさあ!」と散弾銃でぶち抜きたくなっていたところ、「そうなんだよね、不器用なだけなんだよね、不安だし余裕ないし一生懸命だよね」と思えるようになっている。

(彼のハードワークをやめさせたくてこの記事も読んだけど、今はやめるかどうかは彼次第だと思えている)


そう思えたら、彼の仕事のことは彼にやらせるしかないし、私は〈待たされてる〉んじゃなくて〈待っている〉んだし、彼の〈してくれない〉に対して〈してあげない〉で返そうと思わなくなったし、そもそも〈してくれない〉と思わなくなった。ということは〈してほしい〉が無くなったのである。彼が帰ってきた時にはめいいっぱいヨシヨシして、おいしいご飯とふかふか布団を準備して、「お疲れさま、よく頑張ってきたね」とでろでろに甘やかして、彼が一生懸命用意してくれた愛をたくさんもらおうと思えている。

だって彼は敵ではない。
私の大好きな彼氏なんだから。
だから彼との戦争には終止符を打つ。

しばらく連絡が無くても、久しぶりの電話で私がご機嫌なら彼は安心して連絡をくれるようになる。そしてまた連絡が無くなっても気にしなくなる。私が彼を想ってしたことを、素直に〈ありがとう〉と受け取ってくれる。

まだ彼は私に「寂しくさせてごめんね」と言ってくるし、私がこれだけ考えて今に至っていることを知らないから私に対しても不安でいっぱいだと思う。私が楽になったからって彼も楽になるわけではない。きっとまた彼がシャットダウンしたくなる時はくるし、私もバズーカやら散弾銃を構えてしまうだろう。でもどうやら彼の中にも「一緒に生きている」安心感はあるらしい。それが言い聞かせている段階なのか、本能的に感じ取ってくれているのかは分からないけど私はそれだけでとても満足できている。今の私には彼を攻撃しない余裕があるし、本当に彼が去って行っても見送れる自信もある。悲しくて悲しくてサバンナに池くらいは作ってしまうと思うけど。でも他人をコントロールできないって、そういうことなのだ。


傍から見たらそれは洗脳なのかもしれない。
もっといい男居るって、と言いたくなるかもしれない。

でも私は、ヴィトンのバッグに見合うような都会を走るランボルギーニ男には興味が湧かないのである。マニュアルの軽トラックでエベレストに登ろうとするような人生だって楽しいじゃない。

いい男と一緒になりたいんじゃなくて、彼と一緒に居て彼と幸せになりたい。やっぱり私は、「彼に出会うために生まれてきた」と本気で思い続けている。

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