見出し画像

「おもしろそうだからやる」を続けてたら何の人なのかわからなくなった

メディアに出ている人なので簡潔に肩書きを設定する必要があり、毎度悩んだ末に「作家」と名乗っているのだけど、実はこれですらもしっくりきていない。

肩書き問題で悩んでいた時に「いろいろやってるから作家でいいんじゃない?」とアドバイスをくださったのは俳優の松尾貴史さんで、ラジオやテレビ、週刊誌に顔と名前を出していたり、本を出したり、コラムや取材インタビューを書いたりすることもある自分にとっては確かに、今でもそれがベストだったように思う。

ただ日常生活で出会った人に「何をやっている人ですか」と聞かれたときに「作家です」と答えても当然ながらそういう文脈は伝わらなくて、「小説を書いているんですね!」とか「陶芸とかですか?」とか誤解を与えてしまい、「ええと、書いているのはまずフィクションではなくて、分野は貧困や家族の問題が多くて、取材したりもしていて、コメンテーターもしていて、本を出しているけどそれは自分の話だったりもして、あとは学生もやっていて……」毎度注釈を入れるのだけれどそれだと聞いている側も混乱してしまうのであまり伝え方としてはベターではないのかもと思っている。なんなら私も混乱している。

肩書き問題を自然の成り行きにまかせていたら「ジャーナリスト」「ノンフィクションライター」と書かれるようになったのだけれどこれは自分で自称
したことがない肩書きなのでなんか違うような気がしているし、だんだん何を肩書きに使ってもいわゆる同業者の人に申し訳がない気持ちになってきてしまっている。

つまるところ、自分が知らないうちに自分の知らない肩書きをつけられて、ラベリングされ、大衆に消費されている。「永田町は今大変なことになっているというのに、ジャーナリストのくせにゲーム配信をやっていていいのか」とかいちいちコメント欄に書いてくるアホと、それを見て「ゲームぐらい自由にやらせてくれや」とぼやくアホが共存する世界線。

ゲーム配信や写真を撮ってもらったりも含めていろんなことをやってきたわけだけれど、最近はまた新しいことを始めようと思ってバーテンの仕事を週一でしている。

もともとは友達から「人手が足りないんだけどやってみない?」と誘われたのがきっかけで、それも「おもしろそうだからやるよ」だっただけで、そこに何か大きな意味があるわけではない。

とはいっても安請け合いをしているわけではなくて、自分の中ではちゃんとした理由(書き物ばかりしていると家に引きこもりがちになるので、週に一回でも強制的に社交場に自分を置くことで世界を広げようとしている)があって、いち従業員としての責任もしっかり考えたうえで働いている。サービス業や接客の仕事をするのはたぶん学生のアルバイトぶりで、普段使わない脳みその部分をフル回転させている感じがとても良い。狙い通り、今のところは以前よりも引きこもりが解消されたし、いろんな人と代わる代わるコミュニケーションをとることでたくさんの刺激をもらえている。こういう感覚っていつぶりだろうな、ありがたいな。

今自分の肩書き?仕事?をまとめてみると多分こんな感じになる。

・作家
・ライター
・エッセイスト
・コラムニスト
・コメンテーター
・学生(東京大学大学院情報学環教育部1年)
・バーテン

人は多面体、肩書も多面体。
来年あたりはここにさらに3つくらい増えていたらおもしろい。
以上、久しぶりのnote更新でした。

いただいたサポートはさくちゃんとバブちゃんの生活を守るために、そして今後も作品づくりを継続するための活動費として、大切に使わせていただきます! お礼のメッセージは吉川本人から個別にお送りしております。