「集団的自衛権」は名前の付け方が絶妙だよね

だって、集団的自衛権って本質的には自衛じゃないもん。


集団的自衛権をwikipediaで調べてみると

”他の国家が武力攻撃を受けた場合に直接に攻撃を受けていない第三国が協力して共同で防衛を行う国際法上の権利である。その本質は、直接に攻撃を受けている他国を援助し、これと共同で武力攻撃に対処するというところにある”

って書いてある。他国の防衛のために自国の武力を発揮するのが集団的自衛権なわけだけど、自衛権って名前のわりに「自衛」のための武力行使じゃないわけだから、自衛じゃないものを自衛って言っちゃうネーミングセンスが抜群だと思う。


話が横道にそれるけど、刑法には「共犯」ってのがある。狭義の共犯。教唆とか幇助とかいうのがそれ。共犯の反対は正犯で、殺人の正犯っていうと人を殺した人がそれ。一方で殺人の共犯っていうと、たとえば人を殺すのを助けるために被害者を押さえつけたとか殺すための武器を提供した(幇助)とか、あいつ殺しちゃえよ!ってそそのかした(教唆)とかそういうの。

殺人っていうと人を殺した人なわけだけど、じゃあ殺人を達成するために被害者押さえつけた人は無実なのかよ!!ってなるじゃない。そりゃやっぱおかしいよね?って。完全に殺人に関与してるじゃない!殺人犯と同じだよ!ってさ。

だから、殺人を実行した人間でなくても、それに関与した人は同じように罪に問うっていうのが「共犯」なわけ。

実行してないけど実行した人と同じように扱う。

でも実行してない人を実行した人と同じように罪に問うために適用される法律は殺人罪じゃない。教唆罪、幇助罪という規定を刑法61条と62条に置いてるから問えるわけ。殺人罪を解釈によって共犯者にも適用させようなんてむちゃくちゃな話はない。


翻って集団的自衛権のお話。

憲法9条が個別的自衛権を認めているか否かは議論のあるところだけど、政府見解に従って個別的自衛権を認めたとしても、本質的には自衛ではない集団的自衛権が導き出せるかっていうと、さすがにちょっと無茶なんじゃないの?って思うんです。でも、集団的自衛権って名前の付け方が絶妙だよね。まるで個別的自衛権の延長みたいだもん。

もちろん、他国が日本の自衛のために軍事的協力をしようとするときに、日本は他国の自衛のために協力をしなくていいのか?という問題はあるけど、それは義理や倫理の問題で、理屈の問題じゃないよねぇ。



ところで、安部首相は砂川事件上告審判決の判決文を盾に最高裁が集団的自衛権を認めてるみたいな解釈したいみたいだけど、ずいぶんと我田引水な解釈じゃないかなって思うんですよ。判決は集団的自衛権を否定していないからOKだ!ってのが明らかに論理的でないことは置いておくとしても、そもそもあの事件は日本の自衛権として軍事力である米軍を日本国内に駐留させるのは憲法9条に反しないかという論点だったわけで、日本の自衛力に他国の協力を含められるかどうかという視野でのお話になってるわけですよ。他国の自衛力に日本の武力を含められるかという集団的自衛権の論点はこれと全く逆の側面のお話で、全く逆の話をも含めて最高裁が説いていると考えちゃうの、まじパネェっす。最高裁さんってば超絶シャイだから聞かれたこと以外答えてくれないんですよね。いや、聞いたことすら答えてくれなかったりするわけです。砂川事件でも、いや、ちょっとそういうのは政治判断だから裁判所に聞かれても……って逃げ腰だし。それなのに、そんなシャイな最高裁さんが聞かれてもいないのに集団的自衛権までドデカイ射程のお話、、、するわけないじゃない(´・ω・`)

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