音楽論06

音楽論

熟便利な世の中になったと思う

radikoで流れている曲が気になった時、

画面を見ればその曲のタイトルとアーティストが一目で分かり

ボタン一つでiTunesの購入画面にまで飛ぶ事が出来るのだから

更には一曲150円から250円で買う事ができ、それをiPhoneで何処へでも持ち運ぶ事ができる

昔の様にカセットテープやMDに録音しなくたって、

CDを山の様に持ち運ばなくたって、

それがiPhone一つで出来てしまう

世間ではよく『CDが売れない時代』だとか『音楽が売れない時代』だと騒がれる

CDが売れないのは必然的なのだから仕方がない。配信の方が安いし、早いのだからそっちへ移行するのは当然だと思う

しかし音楽が売れなくなった訳ではない

『音楽は分散された』のだと自分は考える

オリコンチャートというものは崩壊した。それは悪い事ではない、寧ろ素晴らしい事だ。音楽を聴く一般の人達からしてみれば

流行りの曲だから素晴らしいという価値観から、自分が好きだから素晴らしいという価値観へと変化した。それは進化とも言えるのではないか?


自分の地元、釧路にはコーチャンフォーという店がある。10代の頃は通い詰めてJAZZにハマっていった、今でも帰省の際は必ず行く店だ。(今調べたら東京にも出店していた!しかも通っていた釧路の春採店が発祥の店だと初めて知った)

その店コーチャンフォーは本屋とレンタルDVD屋とカフェとCD屋が入っている

自分が気に入っているのはCD屋で、その店の仕組みが凄い。様々なジャンルのCDがあり、品揃いも物凄いのだが、その殆どのCDが全曲試聴できる様になっているのだ

バーコードを機械にかざして、ヘッドフォンで試聴する。気に入れば買う。そんな当たり前の事が出来る店は、東京を探してもそうそう無い(一部のアルバム試聴型の試聴機はあるが、殆どのCDが聴けるバーコードタイプはなかなか無い)

服屋では試着が許されるのに、音楽ではなぜか許されない。服屋では『自分の気に入る服を探したい』→『店に行く』→『デザインは気に入った』→『試着する』→『この服を買う』という選択肢がある。だから店へ足を運ぶ

しかし音楽となると『このCDを買いたい』→『店に行く』→『見つけたので買う』という選択肢しか無いのだ。これではCDなど売れるはずもない。必然的である。ましてやオリコンを金にものを言わせて牛耳る輩が蔓延っている様では尚更だ

何を言いたいのかというと、要はこういったコーチャンフォーの様な通いたくなる様な店がもっと増えなければ、CDの衰退は加速する一方なのではないか。(欲を言えば椅子に座ってじっくり吟味したい...)今やネット上のiTunesですら全曲試聴出来る様になっているのに、従来通りの販売をしているCD屋が生き残れる訳がない。CDが売れないと悲観する前に、対策をして来なかった業界が悪いのであって、庶民には何の責任も無い

そしてそういった時代の変化(全曲試聴など)によって、人々はもっと開かれた音楽の世界(オリコン以外の場所)へ進んだのだ

そんな時代、この世界が素晴らしいと思えるのは自分だけだろうか?


追記:コーチャンフォー若葉台店に行ってきたので写真を載せておきます。丁度今ぐらいの季節が最高に気持ち良いので、オススメです。何故か店を出て目の前にヤギがおり、和みました


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