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小説:ありがとうは遅すぎた「生涯一教師」

「私はゆとり教育の導入には反対です!」

K教員が会議でそう言ったとき、周囲は驚いた。
議題は「ゆとり教育実験校に当校が志願したので来年実施することについて」
校長が直接県の教育委員会から持ってきた仕事だ。
議案ではない。命令だ。

実施が決定していることに反対した、それだけではない。

周囲の誰もが、K教員は教頭志望だということを知っていた。
上に逆らえるわけがないのだ。

K「今からでは準備に半年もない!付け焼刃で総合教育の時間を実施して、不利益を被るのは誰ですか?生徒じゃないですか!」

しかし、その意見は一蹴された。
決定事項だから。

「K先生、どうしてあんなこと言ったんですか?」
そう言ったのはY教員だ。
K教員もY教員もコンピュータに詳しく、
その頃まだ遅れていた情報処理の授業を通じて親しかった。

K「Yくん、私はもう教頭などどうでもいい。どうしても許せなかったんだ。ゆとり教育、生徒のためになるとは私には思えない。前例がない授業の実施を引き受けてきて、杜撰な計画だと思わないか?
生徒はモルモットじゃない。」

そして、少し寂しそうに笑ってこう言った。

K「私も定年まであと5年、最後のチャンスがあるかと思っていたけれど、一教師で終えることに腹をくくったよ。」

それからが大変だった。
前例のない総合教育。
生徒に有益な時間を。

先陣を切ったのは、K教員だった。

将来の志望別にクラスを組もう。それぞれの希望者を集めてどんなことがしたいかフリーディスカッションを。見えてくることがあるかもしれない。教員だって手探りなんだ。

K教員の担当分野は「幼児教育」。
将来、保育士になりたい生徒が集まった。

生徒の方針が決まった。「手作りの紙芝居を保育園で上演したい」。

K教員の八面六臂の活動が始まった。
紙芝居づくりのノウハウ。
立体紙芝居や仕掛け絵本の紹介。購入は自腹だった。予算が下りるのを待っていては、目の前の生徒の活動に間に合わない。
市内の保育園を回ってお願いする。
「お姉さんお兄さんが来ると、園児は喜ぶけれど興奮してしまうので…」
「実施時期が難しいですね、園も予定がいっぱいで中学からの職場訪問もあるし」

そしてどこの保育園でも言われた。
「せめて一年前に言ってくださいよ」

K教員がある日Y教員に言った。
「Yくん、本当は私は悔しいよ。生徒を前にすれば教師は動く、そう高をくくられているのがね。悔しいけれど仕方ない。」

保育園で聞いたことを生徒にフィードバックする。
園児を前に、どんなことに気をつけたらよいか。
保育園はどんな活動をのぞんでいるか。
実施する保育園はまだ未定だけど、必ず探すから。

もちろん、勤務時間外に。

「この日のこの時間なら、うちでやれますよ」

そういう保育園が出たのは紙芝居が完成して生徒が練習を始めるころだった。
園が指定してきた時間は、授業時間と重なっている。
「公休扱い」にできないか。「授業欠席」にはしたくない。推薦入試を目指している生徒が多いのだ。

校長に頭を下げた。
校長は最初に逆らったK教員のことを根に持っていた。
皮肉を言われた。
言い出すのが遅いと罵倒された。
それでもK教員は頭を下げた。

生徒は「公休」で保育園に行き、紙芝居の上演は成功だった。
それぞれの生徒が得たものがあったようだ。

やっと一段落で、K教諭は眼科を受診した。
実は少し前からPCの画面がよく見えなくなっていたのだ。
(老眼が進んだのかな…)

網膜剥離だった。

すぐに手術することになって入院した。

原因は、過労であろうと思われた。だが、「公務災害」には認定されなかった。「私病」だ。

気づいてすぐ来院してくれれば、と、医者が言った。後遺症が残りますよ、と。コンピューターを見るのはやめてくださいね、と。

そして、三月の異動発表。
K教諭は、地域で名高い「課題集中校」に異動が決まった。異例だ。
そういう学校は体力のある若い教員が配属されることが多い。
定年間際のK教諭が行くのは不自然だった。

(報復人事…)

教員の間でそうささやかれた。

K教員はY教員に言った。
「どこの学校だってね、生徒は生徒だよ。」

月日は流れて、K教員は一教師として定年退職し、
あれほど得意だったコンピューターは一切使っていないそうだと。
インターネットも全くやっていないそうだと。

そんなとき、あるSNSに一つのスレッドが立った。
「思い出の先生」。
そして、誰かが書き込んだ。

(俺の思い出の先生はK先生!恩師ってああいう人のことを言うんだな)

だが、その書き込みをK先生が見ることは、ない。

【この小説は、以下の曲を参考に書かれました。】

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