少年少女(女声)のための合唱組曲「ファンタジック スペース」より「蝶の谷」の歌詞に対する一考察

知人に「蝶の谷」の歌詞の解釈を頼まれました。
難しいっすね!ググってもヒントがないです。

詩人である名村宏さんに質問するのが一番いいのでしょうが、
楽譜の出版社に手紙を書いて、連絡してもらうぐらいしか方法が考え付きません…

正確な解釈をお求めの方は、上記の方法をお勧めします。
ちょっとそれは時間的にも(私が)無理なので
ここでは、「私なりの」解釈をさせていただきたく存じます。

まず。

詩の解釈に、正解はない!答えは一つではない!

と、私は思っています。

だが、合唱曲の場合、一つの指針はあるのですよ。

それが、「作曲」、曲および曲想です!
作曲者が歌詞をどのように解釈したのかが、
必ず反映されています。

そして。

詩に出てくる動植物は、種類を確定できるとは限らない!
詩人が特定の種をイメージしていない場合があるし、
特定の種に限定されたくないかもしれない。

と、私は思っているのですが。

「雑草と言う名の草はない」と言う言葉があるように、
「蝶」と言っても、何かしら元になったイメージの種があるはずなんですよね。
それを、歌詞より推測することから始めたいと思います。

理由は、種を特定しないと私が蝶の谷の情景をイメージできないからです!

ですから、
まず、歌詞より蝶の種類を推定する。
次に、曲想より歌詞の解釈を行う。

以上の二段階を踏まえたいと思います。

一、この「蝶」は何か。

曲集名が「ファンタジック スペース」なので、
作詞者の想像が織り込まれているのだと思います。
「蝶と言う概念そのもの」である可能性もありますが、
自由に解釈していいのではないでしょうか。

私は、「いくたびか変身の蝶よ」とあるので、
最初に聞いたときイメージしたのがオオカバマダラでした。

この蝶は四世代かけて数千キロを移動します。
冬の世代の蝶はロッキー山脈の谷で越冬し、他の世代に比べて最も長く生きます。

ここで、蝶の越冬についてですが、
一個体の蝶が何年も生きるという例は、
ググっても出てこなかったんで、かなり稀なんだと思います。
(専門家ではないので、わかりませんが…)

蝶は、卵で越冬するもの、幼虫で越冬するもの、蛹で越冬するもの、そして、成虫で越冬するものがあります。
オオカバマダラは成虫で越冬します。

また、蝶は、同じ種類でも、蛹から蝶に変態する季節によって、
色かたち大きさなどの形状が変わるそうです。

「いくたびか変身の蝶」という部分は、オオカバマダラのイメージにぴったりなのですが、
紫色ではないのですよ…、写真を見る限りオレンジ色。
台湾で越冬するルリマダラかな、と、思ったのですが、
写真を見る限り、どちらかというと茶色っぽい蝶です。

蝶の色、と言うものは、
「鱗粉の構造色から作られる光の干渉で輝くように発光する」
ものらしいので、ルリマダラが紫に見えることがあるんだろうか、とも思いましたが、調べてもわかりませんでした。

ツマムラサキマダラかな、とも思いましたが、
生態がよくわからなくて…、それに、ツマ(先端)が紫なんで、
「むらさきの羽」と言えるほどかなぁ、と。

アサギマダラも渡りをする蝶らしいのですが、
浅葱色、うす水色なんですよね…。

そこでひっかかったのが、

「滅びるさだめの蝶よ」

と、いう部分です。
冬の世代の蝶は、春の世代と交代するけれど、
それは「滅びるさだめ」とまでいうものなのか?

そこでイメージしたのがオオムラサキです。

日本の国蝶で、準絶滅危惧種です。
けれど、オオムラサキは成虫で越冬する種ではありません…

それでも、「むらさきの羽」と言い切れるほどの紫色の羽を持つ蝶で、
「滅びるさだめ」と言えば(準、なので、ほろびる危険性がある、ですが)

オオムラサキがイメージに合うんですよね。

成虫は、前翅長50–55mmにもなるそうで、大型の蝶です。
小型の蝶をイメージなさる方もいらっしゃるかもしれませんが、

私は、
オオムラサキのように美しい青紫の羽を持つ大型の架空の蝶で、
オオカバマダラやルリマダラのように、
四世代かけて、数千キロを移動する、
成虫で越冬する蝶。

と、イメージして、詩の解釈をさせていただきたく存じます。

二、曲想をよく考えながら解釈してみよう。

飾りじゃないのよピアノは。

合唱の歌詞の解釈をする際、忘れがちですが、
前奏から、音楽は始まっています。
いったいどんな情景なのか想像しましょう。

mpから始まってmf、再びmpで、mpから始まる歌部分につながります。
メロディは美しく悲しげですね。
歌詞は「誰も知らない冬の谷間」につながるのですが、
あなたは、この前奏で、冬の山の森の中に分け入っています。
荒々しく踏み込んではいけません。
(ここには来たことがないな…)と、用心深く歩いていくと、やや上り坂になっているところがあります。そこがmfです。
すると、少し開けて小さな谷間になっているところを見つけます。そこがmpです。

>誰も知らない冬の谷間に
>紫の羽を閉じて
>風に耐えてる蝶の群れ

ここはmpです。
あなたは、(あ、こんなところに蝶が…)と、そっと驚きます。
風はどれくらい強いのでしょうか?
蝶がとばされない程度の風でしょう。
蝶は、羽を閉じて、風をよけて、群れ集まっているのです。
(蝶は羽の裏と表で色や模様が違うので、羽を閉じていて紫の蝶だとわかるのかは疑問ですが、ここでは、わかるものとします。)

そして、あなたはその蝶を知っています!

何故なら、次の歌詞が前と同じメロディーなのに、mfだからです。

>春がめぐって来ようとも
>紫の色は褪せて
>夏を越せない蝶の群れ

これは、推測ではなく確信です。
あなたはこの蝶の群れは越冬する冬世代で、
どんなに長く生きても夏を越すことはない、と、知っているのです。

どう思いますか?
一般的な「蝶」のイメージは、美しい羽と短い命、
はかない美しさの象徴なのではないですか?

この「蝶の谷」は、そういう「はかない美しさ」を歌っているのでしょうか?
ピアノはクレッシェンドしてfです。

この時、一斉に蝶の群れが飛び立ったと考えていいと思います!

歌もfで始まります。

A>幾度か変身の蝶よ(蝶よ)
>永遠に飛び続けたいなら
>蝶の姿を捨てて
>心だけに変わりなさい

B>幾度か変身の蝶よ(蝶よ)
>永遠に舞い続けたいなら
>過去の幻捨てて
>風のように変わりなさい

「飛び続けたい」でクレッシェンド、
「変わりなさい」でクレッシェンド・ディクレッシェンドです。
「舞い続けたい」には、クレッシェンドがありませんよ?
「変わりなさい」はクレッシェンド・ディクレッシェンドです。

ここまでは、ひとまとまりで考えるべきです。
A・Bは同じことを言い換えていますが、
Aの「永遠に飛び続けたいなら」が、一番強い気持ちなのです。
「変わりなさい」の部分、指揮者によって解釈が違うでしょうが、
私は、強く押すように歌ってはいけないと思います。
蝶が羽を開き、閉じるように、丁寧に歌ってほしいです。

では、何を訴えたいのでしょうか?
夏まで生きられない冬世代の蝶が、「永遠に飛び続け」るとは?

答えが、
「蝶の姿を捨て、過去の幻捨てて、心だけになって、風のように変わりなさい」
と、言うことです。

冬の世代から春の世代へ。
冬の世代は死んでしまうけれど、
心だけになるなら、その魂は次の世代に受け継がれて、
永遠に飛ぶことができるのです。

mfの間奏は、ひらひらと蝶が飛ぶさまだと思います。
冬を越す蝶は、
気温の低いうちは羽を閉ざし群れになってじっとしていますが、
風がやみ、日がさして暖かい時間になると、飛び立ちます。

何故ですか?

花の蜜や樹液を飲み、
つがいとなって子孫を残すため。

「生きる」ためです!

蝶が飛ぶのは、生きることそのものなのです。

C>滅びる運命(さだめ)の蝶よ(蝶よ)
>そんなにも悲しむことはない
>たった一度も飛べずに
>土へ帰る命もある

D>滅びる運命(さだめ)の蝶よ(蝶よ)
>大空を飛び続けたいなら
>いつか天使になれると
>信じながら眠りなさい 

A・Bと同じ楽譜に詞がついています。
曲の強弱も同じですから、
Cの「そんなにも悲しむことはない」が
一番いいたいことなのだと思います。

ここで「滅びる運命(さだめ)の蝶よ」なんですが、
三通りの解釈が考えられると思うんですね。
1.蝶というものは短い命のはかないものである。
2.「蝶の谷」の蝶は、越冬する冬の世代の蝶だから、
夏まで生きることはできない。
3.「蝶の谷」の蝶は、絶滅の危機に瀕している種である。

私は、全部だと思っているんですが。

「たった一度も飛べずに/土へ帰る命もある」の部分、
これは、空を飛べない他の昆虫の事…ではないと、私は思うのですよ。

蝶やトンボなど、蛹から羽化する昆虫は、
羽化に失敗して死ぬことも多いそうです。
羽化は命がけのことなのです。

「いのち」を次の世代に受け継ぐこと、は、同時に、
飛べなかった「いのち」の分も受け継いで、飛ぶことでもあるのです。

「天使」は、おそらく「永遠の存在」なのでしょう。
蝶の短い「いのち」は、そんな「永遠」にもつながるものであると、
信じながら、眠りにつく=個体の死、であると、私は考えます。

ピアノの間奏は、mfからディクレッシェンドして、
mpの歌の部分に続きます。
最初と同じメロディーです。
この間に、ふたたび蝶たちは群れを成して羽をたたんで休む、
と、考えていいでしょう。

>風が冷たい冬の谷間に
>紫の羽を寄せて
>春を夢見る
>蝶の群れ

最初の部分の詞と違いますよ?

風が冷たい冬の谷間に >誰も知らない冬の谷間に
紫の羽を寄せて    >紫の羽を閉じて
春を夢見る      >風に耐えてる
蝶の群れ       >蝶の群れ

そして、

mp>か
p>ぜが冷たい冬の谷間に
クレッシェンド>紫の羽を寄せて
f>春を
ディクレッシェンド>夢見る
mp>蝶の群れ
(ピアノ)クレッシェンド・ディクレッシェンド pp

と、これだけ強弱がついているのです。

特に「春を」がfである意味をよく考えてください。
「蝶の谷」の蝶にとって「春」は、どんな意味を持つのか?
そして、ピアノがppで終わるのは何故か?

「これはひとりひとりが考えながら歌ってください」
で、いいと思いますよ。指揮者や指導者は。
歌っている少年少女が大人になるまで考えるべき課題ですからね。

正解はありませんし!

ただ、私の考えを述べておくと、
「蝶の谷」の蝶は、冬の世代の蝶なので、
生命が生まれ育つ「春」に、死んでしまうのですよね。

それでも「春」は。

命を受け継いだ春の世代が、
冬の世代が見ることは決してない天地へ
山を、あるいは、海を越えて飛んでいくのです。

(お前たちは行くのか、見知らぬ大地を目指して。
私たちの命を引き継いで連れて行くのだろうか…)

という気持ちを込めた「春を」だと思っています。

そして、ピアノ伴奏のppは、
冬の世代が静かに息を引き取るさまだと思っています。

だけど、そこまで決めつけないで、考えさせたままの方が、
いい演奏ができるような気がしますよ。

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