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笑顔の街には

   あの人の名の意味を知らない

あの人の家は
100万番地と少し
仮想の街に
今も残る

あの人の家に行くと
笑顔のアバターが
きれいに化粧して
お気に入りの青い薔薇を持って
迎えてくれる けれど

この世界のリアルに
あの人はもういない

最後の日記が12月
何度季節を繰り返したか
闘病に専念します
忘れません と 書かれた日記

リアルのあなたの苦しみを
架空の街には残さずに
優しかったあなたの思い出

12月になると
あなたの家に行く
100万番地と少し
忘れない いつまでも


   バーチャルタウン「ニコッとタウン」

アバターはかつてブログの飾りだった。
仮想世界の自分。
それが動き交流するようになると、アバターホームページや日記サイトは次々閉鎖した。

アバターはゲームの記号として定着し、3Dを駆けめぐった。
それに比べるとアバター交流サイトは2Dのままで十余年。

時代に取り残されていたのかもしれない。

息の根を止めたのは「FLASHプレイヤーサポート終了」だった。
根底のプログラムがなくなるのでは、普通はあきらめる。
「脱FLASHプレイヤー」の大改装は「狂気」と呼ばれた。
その「狂気」を実行したサイトがある。

ニコッとタウン。

ひとつの交流サイトだけがサービスを続け、
他のサイトはスマートフォンアプリ化してPCオンラインを閉鎖した。

終わらなかったバーチャルタウン。
もしかしたら消えていたかもしれない家と住人。
ニコッとタウンの運営は、ログインアクセスのない住人の家すら残した。

FLASHプレイヤーが終了しても
「あの人」
はニコッとタウンに残った。


   あの人の依頼

ニコッとタウンでは、住人はゆるくつながっていた。知り合ったきっかけは覚えていない。

「わにさん、詩の解釈をお願いしてもいいですか?」

仮想の家の伝言板に、そんな書き込みをされたときは
(ああ、私が詩を書くからだな)
と思い、躊躇なく引き受けたが、

「謝礼はどう払ったらいいですか?」

と言われたときは驚いた。
ニコッとタウンでは個人情報のやりとり禁止だ。

「えっと、noteってサイトご存知ですか?」

解釈は長文になるし、
匿名でお金のやりとりができるのはnoteしか思いつかなかった。

かくして、合唱曲『さようならの季節に』の歌詞解釈がnoteに上げられ、私は謝礼を払ってもらった。
楽譜は買った。
真摯に取り組んだ。

後悔がある。

あの人がどんな気持ちで私に依頼したのか知ろうともしなかったこと…。


   仮想世界の墓標

あの年の今日。

あの人が日記を上げた。
「闘病に専念します。皆さんのことは忘れません。」

直感した。

最期の日記だと。

だから『さようならの季節に』だったのだと。

どんな気持ちで私の解釈を読んだのだろう。
そこに何を読み取ったのだろう。
私は何かを伝えられたのか?

アバターは語らない。

さようなら、忘れない。私こそ。
閉鎖の危機を乗り越えて、
ニコッとタウンに、あの人の家はある。
noteには『さようならの季節に』の解釈記事がある。

あの人は消えない。

12月になると私は、あなたの家に行く。
忘れない、いつまでも。

#創作大賞2022

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