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教育とは、種を蒔くようなものだ

私はそう教えられた。
検索で出てこないので、
教官のオリジナルだったのかもしれない。

教育とは、
荒れ野を耕して、
そこにひたすら種を蒔くようなものだ。

種は鳥がついばんでしまうかもしれない。
雨で流されてしまうかもしれない。
いくら蒔いても芽はすぐには出ない。

それでも、種を蒔き続ける。
芽が出ることを期待してはいけない。

種を蒔くのは、生徒の中だ。
われわれは、生徒の人生の、
たかだか三年間しか、関わることができない。
たった三年で芽が出ると、期待してはいけない。

芽が出るのは、
十年後かも二十年後かもしれない。
もっと先かもしれない。

雨で流された先で芽吹くかもしれない。
鳥に消化されず体内を通り、
思わぬ遠くの地で芽が出るかもしれない。

どこであろうと、
われわれは、
芽も、花も、実も、
見ることはできないだろう。

われわれが蒔いた種が、
豊かに実るとき、
われわれはそこにはいない。

そして、
花も実も、彼らのもので、
われわれのものは、
ひとつもない。

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