バンダナ bandanna

珈琲の人と呼ばれている

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最近の記事

ココアはやっぱり

小さい頃からミルクは苦手で、今も得意ではない。 決して飲まないわけではないけれども、自ら注文することはほとんどなく、コーヒーに牛乳が混ざった飲み物もたまにしか飲まない。 高校を卒業するまで、朝食はほとんどが食パンだった。 いつもはマーガリンにフルーツ系のジャムがたっぷり塗られた食パンとブラックコーヒーなのだが、冬になるとたまに出てくるココアが、密かな楽しみだった。 それもお湯で溶くのではなく、ミルクで溶かされたココア。 私にとって多感な時期に食べ

    • 珈琲時間が生むもの

      珈琲を飲む時、必ず隙間ができる 飲む行為が1秒でもある限り その時間がその人にとっての隙間になる 苦味、酸味、甘み いろんな味や香りに意識が向いている時 一瞬でも心のベクトルは内へと向かう 普段社会生活をしていると 心のベクトルは外へ向きやすい 「〜が悪い、〜のせいで、だって、でも」 他人からの評価を気にして自分の気持ちがわからなくなってしまう ベクトルが内側に向いている時 「そんなことどうでもいいじゃん」

      • 珈琲で野点を行うこと。

        倉敷市で行なった珈琲野点。 駅近くの交差点にある商店街の付近にグランドシートを敷いて、トートバッグから道具を取り出す。 小さな看板を立ててスタート。 「許可なく商売しちゃダメだよ」と言われた時の言い訳がわりに料金は無料にした。 次回もしやるなら売茶翁のように言い値にしたい。 初めてのお客様が来た。 夫婦で50〜60代ぐらい。 時間がかかることを承知の上で、 珈琲を淹れている間、地べたに座って待っていた。 申し訳ない・・・と思って

        • たまたまの出会いは神の仕業??

          「袖振り合うも多生の縁」という言葉がある。 多生とは前世を意味し、「袖が触れ合うような出会いも前世からの縁によるもの」という意味だ。 縁とはタイミングや運命と同じだと私は考えている。 例えば、道端でたまたま古い友人に会ったとき、二人のタイミングが重なった瞬間で、何か特別な感情が芽生えることはないだろうか? こんなことがあると、神様について考えてしまう。 というわけで、神様を2次元で表してみた。 グラフのX軸は時間、Y軸は場所、波長はタイミングを表し、このグラフを

        ココアはやっぱり

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        • わたしのハイキング
          3本

        記事

          塞ぎ込んでしまったもの

          何種類ものシャーベットを宝石箱に思える気持ちは、埃被ったアルバムの中に置いてきてしまったかもしれない。 ある時、小さい頃の写真を見ることがあり、スプーンを小さな口に近づけ、いちごアイスを食べようとしている写真を見かけた。 お出かけ中に公園に行き、移動販売型アイスクリーム屋さんで買ってもらった時のものだった。 大きなパラソルの下、たくさんの文字と絵でメニューが書かれた看板を見上げ、読めないながらも、たくさんの味があると感じた。 頭の中では、ぶどうやリンゴ、キウイにイチゴ

          塞ぎ込んでしまったもの

          雪道を歩く 2

          白い衣を羽織った木々に囲まれた空間は、厳かで静寂に包まれていた。 いつもなら肌寒く感じる森の中は暖かさを感じ、外と天邪鬼な場所なのだと感じた。 もう少し時間があったので、更に進んでいく。 緩やかな登り坂は普段ならスイスイ歩けるのに、雪が足のまとわりつき、思うように進まない。 春の私はすでに遠く前にいるのに、今の私は彼に追いつけない。 振り返ると歩幅が狭い足跡が一人分、雪道に続いていた。 目指す頂上まで後1キロぐらいになり、感覚が薄れていく足が小さな看板の前で立ち

          雪道を歩く 1

          雪の中を歩いていると、真っ白な看板に度々出会う。 「ここから先は自分で決めなさい」と言われているような気がしてならない。 白い看板には自由と責任が描かれ、ここから先に進むも、戻るも自分で決めるのだと教えてくれる。 子供と大人の境界線がここにあった。 子供の頃は、何も考えずに前を向いて進み、痛い目にあっても立ち上がって進んでいる。 だんだんとそのスピードが落ちてゆき、立ち止まったり他のルートへ行くこともあれば、止まってしまう。 好奇心や挑戦を忘れることが、老化という

          シティートレイル in 東京 1

          去年のお話になります。 2018年、東京にてハイキングイベント(ロングディスタンスハイカーズデイ)に参加した。 ロングトレイルを歩き終えた人がかかるハイカーシンドロームといわれる現象について、少しだけ話をさせてもらった。 何千キロもの道をひたすら歩く日々は、日常と非日常が混ざり合い、帰国後の生活と大きな隔たりが出来てしまう。 この辺の話は、またどこかタイミングがいいときにでも。 ハイカーの話を聞いてるとなんか歩きたくなったので、翌日の昼過ぎ、吉祥寺から高円寺まで歩い

          シティートレイル in 東京 1

          キャラメルと砂になった記憶

          小さな手にコインを握りしめて、少年は近所の商店へと向かった。 彼にとってはそれはお菓子の財宝を求める旅。 店内に並ぶ他の物へ誘うトラップを跳ね除け、少し背伸びをして茶色い箱を手に取った。 背中が曲がった店主にコインを渡し、箱に入った甘いキャラメルを口に入れ、ウヰスキーを飲む大人のように舌先でテイスティングを何度も楽しんだ。 家の手伝いで貯めたコインは桃源郷への切符となり、やっとの思いで手に入れた財宝で、彼は小さな夢と大きな通過点を手に入れた。 頑張った過程を積み重ね

          キャラメルと砂になった記憶

          甘酒とアイスクリームの温かさ

          小さい頃は、甘酒をなぜか飲みたいと思わなかった。 祖母が作ってくれた甘酒はほのかに生姜の香りがし、ポテトチップスとコーラで育った胃袋から「飲んでみよう」という指令は下されなかった。 お酒を飲んで酔っ払う親戚から漂う匂いとわずかに似ていることもあってか、「お酒って面倒くさいなぁ」と子供ながらに感じたこともリンクしているかもしれない。 こうはなりたくないと思った少年は、いつの間にか面倒くさい大人の一人として数えられるようになり、お酒による小さな迷惑を起こしながら、社会生活の

          甘酒とアイスクリームの温かさ

          冬の音が入ってくる

          風の音しか感じない時間は人生で何度訪れるだろうか? 仕事が終わった後、道路沿いにある草原を夕方歩く。 普段なら通るはずの車も少なく、季節がらこんな時間に歩く人は滅多にいない。 寒さが耳に入り込み、観客一人のソロコンサートが開催されている。 赤くなった耳は、いかに音楽が熱狂的なまでに伝わっているかを物語っており、聞くというよりは体に注射されて、ダイレクトに入ってくるかのようだ。 アンビエントで満たされた世界を突き詰めると、ジョン・ケージの「4分33秒」に行きつくと思う

          冬の音が入ってくる

          頬を駆け巡る気まぐれなあいつ

          公園の晴れた日の冬空は、透明な何かが通っていくのを感じる。 休憩時間中に、ベンチで自前の枕と寝袋で昼寝をする。 仕事で付けるネクタイをアイマスクにし、眼球に入り込む光を遮る。 頬を当たる何かのおかげか、日差しで火照った顔を冷やしてくれた。 学生の頃、通学路を自転車で登校し、パンパンに火照った全身をクーラーのように冷ましてくれた何かが、同じように頬を伝う。 部活顧問の先生と言い合いになって、小さな手で平手打ちをした少年。 短期大学でバイト先の主人を猛烈に怒らせてしま

          頬を駆け巡る気まぐれなあいつ