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身や蓋を際立たせる魂胆

精確な知識や豊富な経験に裏付けされたことをスッパリ言えたら、気持ちいいだろう。「××とはこういうものだよ」「それってこういうことだよね」みたいなことが言えたら、頼もしいしかっこいいと思う。勝手なイメージでいうと、池上彰さんや養老孟司さんのような存在がそれに近い。

ほとんど似たような条件に思えるのに、なにかしらがわずかにちがうだけで、まったく違った様子があらわれるようだ。雲の形だとか、空模様のようなものがそれに近い。

似たような環境で育って、似たような教育を受けて学び、似たような職業に就いたとしても、その両者はべつの個人であり、似ても似つかない。一卵性双生児だって、個によって違った性格をしているだろう。

なにかをするとき、予定を立てたり計画したりする。結果や成果を予測したり、目標を掲げたりして、それを目指すだろう。でも、その通りにはならない。実際の道を歩むうえで、いろいろなことがある。まさかこの道がこんな理由で通れないなんて……などというシチュエイションに度々出会っては、予定していなかった経路をとることになるだろう。

そのことがなにより面白い。

計画を立てたり、目標をかかげたりすることが面白く作用するとしたら、そうした「あらかじめ見通したこととの実際の違い」を実感させてくれる効果のおかげかもしれない。それがなかったら、計画を立てたり目標をかかげたりする必要などないのではないか、とまで思う。思い込みすぎかもしれないが。

あてずっぽう、行き当たりばったりの旅は、そもそも予測や目標自体がない。まっしろでいる自分を旅の路に運べば、色んなものごとに出会っては色づいていく自分の変化が面白い。計画や目標を持ってのぞむことは、あらかじめ用意した色や模様が、刺激を受けて変化していく様子を楽しむことにつながるのかもしれない。

どうにかなるとか、なんとかなるとか、身も蓋もないことを言う。場合によっては、怒られるかもしれない。状況によっては、そうした発言がふさわしくないとみなされることもある。ただひとつ僕が言いたいのは、どうにかなって、なんとかなってきた結果が現在のこの世界の姿だということだ。美しくもあるし、醜くもある。

実はべつに言いたいというほどのことでもないし、僕に言われるほどのこともないだろう。だから、あえて言ってみた。身も蓋もないことを呈することで、身や蓋を引き立て、際立たせる魂胆である。

乱筆に耐え忍んでおつきあいいただき、ありがとうございます。

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