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舞い、歌い、匂い。

文字の組み合わせによる「ことば」は、ぼくの伝えたいことのすべてをあらわしてはくれません。

「ことば」のようなものはいろいろあります。笑いかけること。手をにぎること。肩に触れること。顔を近づけること。おしりで押したり押し返したりすること。声や音を発すること。においを出すこと。飛んだり跳ねたり、ステップを踏んだり、手をあげたりすること。

「ことば」のようななにかとなにかの「間(ま)」によっても、あるものを伝えることができるかもしれません。行間、みたいなやつでしょうか。「行(ぎょう)」なんていいますから、記号としての文字の羅列によってなにかを伝え合うことが常識的であることを全面的に受け入れたようなものいいをぼくが今ここでしてみせていることを自覚します。

こうやってちいさな機械をつかって組み上げた文字の羅列を発信することに夢中になるいっぽうで、ぼくは音をならしたり、声を発したりすることの組み合わせでなにかを表現することを愛しています。文字という記号で表すところの「音楽」というものです。

手っ取り早く「音楽」と文字であらわしたときに伝わるものは、とても抽象的な情報です。じゃあどんな音楽かと言われて、これこれこういう材質でできたこういう仕組みの楽器と、またべつの仕組みと材質の楽器とをどれだけくみあわせて、どんなリズムで、どんな高さの音で……なんてことを文字という形式の記号で伝えきるのは困難です。そこで、楽譜という形式の伝達手段があります。これはすごい発明だと思います。文字の歴史よりもこれはさらに歴史の浅いものになるでしょう。

楽譜の読み書きができない人は、文字の読み書きができない人の数よりも多くなるでしょう。

文字で伝えきることのできない音や声での表現を一発やってみせれば、文字や楽譜の読み書きをしない人にも伝えることができます。より普遍的な手段、といっていいのかもしれません。文字が発明される以前のヒトとだって、さらには動物とだって共有できるでしょう。

読んでいただき、ありがとうございました。


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