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お化けはいるか?

壁紙のシミが、人の顔に見えるという人があるとする。そんな風には見えないという人もあるかもしれないが、言われてみればそう見えなくもないと同意する人もあるだろう。壁紙のシミを、樹木の肌の模様だとか、海面で打ち崩れる波の模様だとかに置き換えてもかまわない。見る人が見ればそう見える、という解釈は、いくらでも起こりうる。

同一の事実を指して、よく評価する人もあれば、わるく評価する人もあるだろう。ある人の持つ柔和さや優しさといったものは、甘さや曖昧さともとらえられる。弱さは強さに反転するし、善は悪にもなる。あるものはないものになり、ないものはあるものになる。おなじものを指して、ただべつべつの名前で呼んでいるだけ、というケースも多い。被写体は同じなのに、撮影者が立つ場所によっては順光にもなれば逆光にもなる。「あいつは暗いよ。いつも後ろ向きだ」「いつもこちらを向いていて、明るくてまぶしい」どちらも、同じものについて言っている。そんなことが起こりうる。

仮説を立てて、それを裏付ける証拠を集めれば、きっと机上に必要な素材が積み上がるだろう。「そういう目」で見れば、その仮説を正解にする支援物資に世界は満ちている。「あそこのラーメンはうまい」という結論を用意して、「あそこのラーメンをうまいと言ってくれる人」をいくらか用意して、うまいこと写真を撮ったり、ことばを練ったりして目指すかたちに仕立て上げてみせれば、「あそこのラーメンはうまい」という真実のできあがりだ。同様の手口で、「あそこのラーメン」を貶めるのも造作ない。(いや、造作のたまもの?)

あなたが結論を用意すれば、きっとその通りになるだろう。見たい光景をイメージして資料を繰れば、いくらでも合致するものを探し出せるに違いない。わたしが思うことと似た意見を求めれば、それに近いことを表明する人はいくらでも現れてくれる。

「そういう目」で見ないというのが、「観察」のコツかもしれない。その先に、新しい発見や気づきがあって、わたしはいつもそれを求めている。

お読みいただき、ありがとうございました。


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