見出し画像

空元気

大きな震災があったあと、有名な歌手がラジオか何かで言っていたことを思い出す。「お金がある人はお金を、ちからがあるひとはちからを、なんにもないひとは元気を出そう」といったようなことだった。歌手は、うまいこと言うなと思った。

元気ってなんだろう。ことばをばらばらにして、もとの意味を考えるのが趣味の僕は、「気になって」しまう。

元気は「元」の「気」と書く。「気」というと、何か見えないものかなと思う。「見えないもの」という解釈をもう少し深追いすると、「実態のないもの」とも考える。その「元」なわけだ。実態のないものに「元」なんてあるのだろうか。なんだか、哲学、というか、こういうのを「形而上の」とでもいうのか、そんな類のもののような「気」さえしてくる(ここにも「気」がお出まし)。

助詞ひとつ変えるだけでも、感じられるニュアンスが変わる。元「に」気と書いて元気、ととらえると、「元」と「気」が横並びになって、もしくは「元」に「気」という追い打ちをかけるようなニュアンスも感じる。元「と」気と書いて「元気」とすると、シンプルな並列に思える。言語の専門家はなんて言うかな。しろうとの僕に言えるのは、ことばのユーザーとしての感想くらいだ。

元「の」「に」「と」気と書いて、元気。あるいは、ひっくり返して気「の」「に」「と」元と書いて、元気。いずれにせよ、「気」というのは目にみえない。目を含む、なんらかの感覚器官で察知できたり、機械で観測できることの原因になっている(かもしれない)もの、それが「気」だろうか。「健康」という単語のもつ意味を含ませて、「健康」外のぼやっとしたニュアンスを抱き合わせにして、なんとなくつかいがちでもあるのが、「元気」という単語だ。

いずれにしても、ないよりはあるほうがいいだろう。ただ、なくてもできることは多い。なくても、あるように見せるのはむずかしくないのでは、とも思う。だって、「実態がないもの」かもしれないからだ。いや、元気は大事だよ、とおっしゃる場合、その「元気」は具体的に言い換えがが利く、(たとえば「健康」のような)ほかのもののことを指しているのかもしれない。

と、しろうと考えでここまできたが、実際に辞書を引くとどう記されているのだろう。もう、あえてそれをしないでこの稿を終わる。

お読みいただき、ありがとうございました。


#エッセイ #日記 #元気 #言葉 #言語 #意味 #原義 #哲学 #思想 #形而上 #感覚 #五感 #健康

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?