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リハのリハ

なにかを始めてみることで、問題点がわかる。はじめてみたはいいけど、うまくいかないとなった場合、とにかくやってみたことで、その原因がわかるかもしれない。

僕は、あたまで考えたけど実際に動き出せない、ということが多いのです。そのことをここで、あえてポジティヴにとらえてみます。それは、現状を把握する分析・観察能力、未来の予測力が高いのでは?ということです。現在のじぶんをとりまく環境、現在のじぶんにとって有効な資源やスキルがどの程度あるのかを比較的高い精度で把握しており、その状態で走りだすとどうなるのかが比較的高い精度でわかってしまう。だから、あたまで考えた無責任なアイディア、もっと微細なものでは単なる行動欲求を実現したり満たしたりしようと、いま実際にやりはじめるとどうなるのかがわかってしまう(きっとそれは思い描いたようにはうまくいかないということがわかってしまう)のではないかと思うのです。

さて、あえてポジティヴにとらえてみましたが、ここからそれをぶち壊してみます。

それで結局僕は、「どうせいまはじめても思い描いたようにはうまくいかない」ことを口実に、やりたい、満たしたいと思うことがありつつも、いつまでもはじめないでいます。で、なぜうまくいかないか、ないが足りないか、その原因となっているものの解消のために、はじめる前の準備をちゃくちゃくと進めているかといえば、それすらもろくにしていない場合が多いです。

さらには、予測力が高い、現在のじぶんの資源の量を精確に把握する能力が高い、なんてのも、ちゃんちゃらおかしい買い被りかもしれません。むしろ、これまでろくに何かをなしえた覚えもないじぶんのことを思うと、それは買い被りであるという線でまぁまず間違いないでしょう。

そう、僕は、予測もでたらめ。そのくせじぶんのことを過大に評価している、どうしようもない奴っぽいのです。(「っぽい」なんていうところに、じぶんへの甘さが出ています)

思えば、リハーサルというものがあります。僕は、ずっと演奏や歌唱の活動をしてきましたが、音楽の公演があるとなった場合、そのリハーサルというものを必ずやるでしょう。本番とおなじような環境で段取りで、事前にやっておくのです。それで、本番を迎えたときの予測不能分を可能な限り小さくしておけるのです。リハーサルに至るまえの、練習の積み重ねも怠りません。リハーサルのリハーサルといってもいいでしょう。

こうやって、音楽のことでなら、じぶんに「とにかくやりはじめる」を課すことが、僕にも染み付いています。それを、ほかのいろんな思いついたこと、はじめたいこと、満たしたい行動欲求にも応用すればよいだけなのだろうなとは思います。

ひとつ指摘するならば、僕は「音楽」をすでに選んでいる。そのために、新しいことを割り込ませるのが難しいというのは、酌んでやってよい点かもしれません。資源には限りがあるので、新しいことを割り込ませるなら、やりくりを改定しなければなりません。これまでの資源のサイクルの中から捻出するのか? あるいは、なんとかして、どっかから引っ張ってきて、資源の総量を増やす方向でいくのか?(これはけっこうつらい。1日は寝てもさめても24時間。)それを改定してまで、割り込ませはしない…そう判断しているのかもしれません。

なんでもかんでも持ち続けようとすると、あたらしいことをはじめる未来への道がどんづまりになります。そうなると、まず「しまう」こと、いま回っている物語のいくつかに終止をつけないことには、新しいことを始められない…となってしまいます。

僕は、考えなしに「おもいつきすぎ」なのかもしれません。そう、「それがなんになるのか」までよく考えずに、あれもこれも面白そう、などと浮ついているだけなのかもしれません。

冷静に平静におのれを見つめてみると、僕は「面白そう」「興味(だけは)ある」と思えることに出会っても、「それにじぶんの人生を費やしてまで行動を起こしたいか」という点については、けっこうシビアに、毅然とアタリをつけているようにも思います。

「俺よ、それでいい」「俺よ、それじゃダメだ」

どっちも、僕のなかにいるのです。

お読みいただき、ありがとうございました。


#エッセイ #日記 #リハーサル #本番 #音楽 #演奏

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