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コンテナとコンテント

コンテンツということばをつかって、特定の範囲のものごとを指し示すことがある。

おきまり「ウィキペディア」で調べると、「中身」と出る。さらには、いれものである「コンテナ」に対して内容物は「コンテント」だという。なるほど。

昨日ぼくはあるライブハウスでライブをしてきた。出演したのである。この場合、ライブハウスを「コンテナ」、演奏内容・開催されたイベント自体を「コンテント」とみることができるだろう。

ある種類のコンテントに特化したコンテナが、時代とともに充実してきた。本格的な音響機材や照明設備などを備えたライブハウスなんて、大昔からあったわけではない。野っ原だとか、そのへんの酒場だとか、路のかたわらだとかで演ったことだろう。その頃にはきっと、さほど「コンテナ(いれもの)に対して、その中身としてのコンテント」を意識されることはなかっただろう(そうした意識の高い人もいたかもしれないが)。

既成のコンテナに入れ込むことにとらわれずにコンテントを考えてもいい。ただ、すでにあるコンテナにいれることを前提にすれば、コンテントはつくりやすくなる。自由すぎたり制約がなさすぎたりすると、かえって何をして良いかとっかかりがわからなくなる。

これまでにないコンテントをつくってしまった場合、それを披露したり、伝えたり、味わったりしてもらうための機会や場所をどうしたらよいか悩むことになる。そうしたコンテントの集合ともなればなおさらだ。しかし、その課題を克服し具現化したコンテナは、その後のコンテントのつくり手たちの指針になるだろう。あのコンテナに持ち込みたい! というモチベーションでものづくりをする人が現れるかもしれないし、おのれのつくったものをどのように発信したらよいか思いあぐねていた人が、「あのコンテナはおれのコンテントにぴったりじゃないか!」と集まってくるかもしれない。

志向・嗜好するものが多様になるほど、既成のコンテナの存在はかえって邪魔になる。コンテナづくりの資材になるようなものは、今後も重宝されることだろう。自由なコンテントに合わせて、その都度合ったかたちのコンテナをつくっては解体し、資材をまた次にまわすという循環である。その柔軟性、順応性の高さが問われるだろう。

魅力的なお皿が、料理人の創意を刺激することもあるかもしれない。コンテナとコンテントは、一体のものなのだ。

お読みいただき、ありがとうございました。

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