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クラウド3

これは良い、これは悪い。これは正しい、これは間違い。これは幸運、これは不幸。これは笑える、これは泣ける。

そのものがどういうものかというのを決めつけるのは、脳の機能なのかなと思います。なるべくなるべく、溢れんばかりに流れ込んでくる外の世界からの情報を単純化して処理しようとする、できるだけ楽をして、怠けようとする性質が脳にはあるのかもしれません。(「脳」の話だ、とも言い切れませんけど、ここではそういうことにしておきます)本当はどっちかに決めてかかれるようなものじゃない。ありのままの姿のものを、分類を決めて仕分けして、乱暴な字で殴り書きされた段ボールに納めようとする。ふわふわと空中を漂ったままにできないのです。

そうやって、仕分けの手を休めることができないのは、思考のクセだったり、惰性なのかなと思います。やはり、同じ処理を続けることの方が楽なのでしょう。

楽をすることに慣れると、柔軟さを失うのは体も脳も同じなのかもしれません。刻々と変わる状況の中で、また、昨日までのものに今日のものが覆いかぶさる中で、それまでの判断をいつも揺さぶり、なるべく頻繁に考えを改めるようにすることは、意識的におこなわないと割愛されてしまいがちです。昨日までと同じ処理を続けて良いかどうかは、いつもそのときそのときで最新の条件に準じた判断が必要なはず。じわりじわりとした変化に気付くのは、ものさしがないと意外に困難なことだったりします。それまでに気付かなかったことを見つけさせてくれるものさしに出会うことは、いつでも楽しい。新鮮な気持ちにさせてくれます。

考えをいつも改め続けるようにする、という意識も、その姿かたちに頼っていると、たちまち色気のない段ボール箱の中に入ってしまうでしょう。

入れたものは、出してみる。

出し入れしないのなら、漂わせておけばいい。

自由に姿を変えながら空を漂ったり、重さに耐えきれなくなって地上に降り注いだり。

小川は大河に、大河は海に。

自由に形を変えてうつろうものに、われわれは生かされている。

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