テラハファイナルステージ Dream Amiの「AMILOG」について思うこと

柴田聡子の最新で最高のアルバム『ぼちぼち銀河』に、「夕日」という曲が収録されている。これは以前、「テラハ」という曲名で発表されたものであった。過去、曲中の歌詞で「テラハ」とされていた部分が「夕日」ということばに変えられてアルバムには収録されている。元の歌詞にはこのような一節がある。

「テラハのこと話したいけど話すことがないの 不思議と」

また、柴田聡子がスロー・インというアルバムを作っているときの日誌においては、2020年5月23日の分に、こんな文章がある。

「テラハは夕暮れみたいな楽しみだった。規則正しくて、うっとりもするけれど、すぐに忘れてしまう」

とーーーーーーーーーーーーー。


元E-girlsのメンバーであるDream AmiのYouTubeチャンネル、AMILOG。これを私はテラハファイナルステージと呼んでいる。その理由は言わずもがな、彼女の夫が、今は無き『テラスハウス』の元メンバーであり、なにかと叩かれやすいあの番組において高い女性人気と好感度を保ったまま卒業していき、「ミスター・パーフェクト」とまで呼ばれた、「半さん」こと建築家の半田悠人だからである。

プライベートなAmiちゃん(と呼んでいます)の姿、もとい、夫婦の仲睦まじい様子をメインコンテンツとするこのYouTubeチャンネル。元アイドルでありながら、私の体感としては男性よりも女性ファンが多いAmiちゃんと、テラハで女性人気を集めながら芸能人ではなくあくまで一般人の半さんのプライベートな夫婦生活の一部を提供し続けるこのコンテンツ。お互いのファンがこの営みを観測し、応援コメントが多数寄せられ、それなりに支持されているであろうこのコンテンツ。テラハファンとして見始めたこのコンテンツには、なにやらうまく言い表すことのできない感情を抱き続けている。

私はテラハ視聴者として例に漏れず、人並みに半さんのことが好きだった。Amiちゃんと結婚した時は人並みに妬ましい気持ちを抱いた。しかし実際にAMILOGを見始めると(特に、2020年の11月に投稿されている、プール付きホテルに止まっている沖縄旅行の動画なんて見ると)、これがもう、とんでもないとしか言いようがないコンテンツなのである。

ちょっとの妬みや嫉みは吹き飛んでしまう、ただただ眩しい新婚ふたりの様子が映し出されており、そのあまりのしあわせオーラに、戦意喪失、こちらも素直に高揚し、まんまとしあわせな気持ちになり、私は一気にAMILOGに魅了されたのであった。

…のだが、しかし、やはり、不穏な展開というのはテラハにつきものである。ある動画をきっかけをきっかけに、私はこの営みについての違和感を覚えることとなった。
その動画がこちら。

動画のタイトルは、

【購入品紹介】旦那のカードで勝手に爆買い...😅

…一読すればおわかりの通り、事件性を感じるタイトルである。これが名も無きインスタグラマーの投稿に添えられた文章であったならば、ネットにありふれた、経済力に紐づくしあわせアピールと吐き捨ててしかるべきであるかと思うが、ここはテラハファイナルステージである。しかもここには山ちゃんもYOUも徳井さんもいない。
見逃しようのない、嗅がし逃しようのないこの匂い、試されているとしか思えなかった私は、謎の責任感を背負い、真正面から向き合う必要性があったのだ。

殺人現場の扉を開けるような手つきで、私は心して動画を再生した。動画の内容は至って普通の購入品紹介であるが、重要なタイトルの経緯については途中、こう説明されている。
ある海外ブランドのサイトで半さんが携帯でネットショッピングをしていたところ、一緒になって見ていたAmiちゃんがついでに自分の買い物を始め、そのまま寝てしまった半さんから携帯を奪い、知らぬ間に半さんが買っていた金額の倍以上の買い物をしちゃいました!(半さん30,000円ほど、Amiちゃん70,000円ほど、という内訳)ということであった。

なるほど。さてこれはなんと微笑ましい…微笑ましい…、という感想が、正しいのだろうか。事情はわかったが、何よりも問題はやはり、そのタイトルである。タイトルについて、Amiちゃんの中で「購入品紹介」ではなく「旦那のカードで勝手に爆買い」というタイトルをわざわざ選んだのは、後者の方がなんらかの「引き」があると感じたからだろう。もちろんインパクトはそちらの方があると思う。

しかし、そこに含まれる意図についてもっと考える。

言ってしまえば前述のような、わかりやすい「自慢」の印象が与えられるタイトルだ。メインの視聴者はファンの人であることから、そんな自慢では叩かれもしないと思うが、絶妙なリスクを背負ってつけているこのタイトル、私はこう考えた。

ここでの主体は、「経済力のある旦那にしあわせにしてもらえるわがままプリンセスな私」ではなく、「(経済的にも)(愛情面でも)私をしあわせにできる旦那」、ということではないだろうか。

下世話な話、芸能活動をしているAmiちゃんの収入が、半さんよりも大きく下回っていることなどないと思う。なんならむしろ、逆…なのではないか、とすら思う。(いや、実際はなにも知らんけど。建築家自体がどれくらいの年収かも全く知らないし、そんなのは人にも寄るだろうし、全然想像もつかないけど)私のような人間はこのふたりに対して、収入格差とかって実際どんなもんだろな…ということを下世話にも思ったことがあるからこそ、このタイトルに引っかかって仕方がないのだと思う。自慢・惚気メインではなく、そこはかとなく「旦那をたてる」という意識が感じられるのだ。
若干のリスクまで背負い、無邪気に自分を上げる風を装って、本当は自分ではなく旦那を上げたい、という意識の下に選ばれたタイトル、なのではないだろうか。
ここまでの動画を見ていればわかる。Amiちゃんは半さんのことが大好きだ。大好きだからこそ、無意識か戦略的にかはわからないが、このタイトルが採用されたのではないだろうか。
(さて、ここまでの文章を「言いがかり」とか「無茶苦茶」と人が言うことについては私も知ってる。しかし言わずにはいられないんだから許して。ここはテラハファイナルステージで、私はテラハの話がしたいんだ…)

紛れもなく本物の「大好き」という気持ちがコンテンツになることについて考え始めた私は、途方に暮れた。テラスハウスという番組の露悪的な部分については、見ていた視聴者であれば少なからず感じることはあるだろう。番組内でミスター・パーフェクトとされた半さんは、テラハという番組からいなくなっても、テラハという番組がなくなっても、こうして彼の奥さんがテラハファイナルステージという場を設け、私たちにコンテンツを提供してくれる。そういう意味では、なんとなく呪われしレジェンドメンバーなのだと私なんかは思う。
視聴者は大半がふたりのファンであり、ふたりの生活を心から応援している人たちがほとんどだろう。しかし、ふたりのフォロワーに囲われて続けられるこの営みのあまりの「野放し」具合が怖くなり、怖くなった手前気になりすぎて、今も指の間から薄めで見続けることになっているというこの状況は、本当に一体なんなんだろう。


話は全く変わるが、「野放し」といえば、最近この世でもっとも野放しであると感じるコンテンツを新たに見つけた。
それはヒロミのTikTokである。
ヒロミは、松本伊代との若かりし頃から最近に至るまでの写真をスライドショーにし、自分で歌う自作の曲(?)をつけた映像をTikTokで投稿している。BGMの曲の歌詞はこうだ。

「ずっと〜♪そのままでいいよ〜♪」

…いいよ、と、伊代をかけているのだ……。
コメント欄はあたたかいものに溢れている。私は初めて見た時度肝を抜かれた。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?