ろうそくさん

自分自身をすり減らして、他人に奉仕したことがありますか。ぼくは、毎日そうやって過ごしています。
自分自身の寿命を、残された時間を、リアルに感じたことはありますか。ぼくは、削られていく寿命を目の当たりにしながら毎日を過ごしています。

誰かのために役に立つこと。それはとても崇高なことだとぼくは信じています。信じていなければ、とてもやっていけません。誰かのために働いても、ぼく自身は、別に何の得もしないのです。それでも自分を見失わないようにするには、そうやって気持ちにオチを付けられる安息なところを探して、ただただ妄信するよりほかないのです。

この家には、おばあさんが独りで住んでいます。無口な人です。なにか話しているのを聞いたことはありません。毎日毎日、全く同じ時間にぼくのまえに座ると、ぼくの頭にマッチで火を灯します。

そして、手を合わせて、目を伏せるのです。
何も言わず、ただ手を合わせて目を伏せるのです。
おばあさんは、こうして手を合わせている間、いつも安らかにすこしだけ笑っています。いや、もしかしたら笑っているわけではないのかもしれません。もともとがそういう顔なのだというそれだけのことなのかもしれない。でも、その表情は実に優しい。ぼくはそれに随分と助けられているのです。
ぼくのような短命な存在でも、こうして、暖かく優しい表情に見守られて逝けるなら、それは幸せなことなのかもしれないと、ときどき思うのです。今こうしている瞬間にも、ぼくの体は溶けて、流れて、少しずつ削り取られていきます。それでも、ぼくはおばあさんの優しい表情を眺めていると痛みを忘れられます。なにかふっと、柔らかいなにかが心のなかに降りてくるような気がするのです。

何も言わない、おばあさん。
聞こえてくるのは、遠くで風に揺れる風鈴の音色だけ。
しばらくして目を開けると、おばあさんはそっと手のひらを扇ぐように振ります。ぼくの頭についた火は消えて、今日のお勤めが終わります。おばあさんは立ち去って、ぼくの一日もこれで終わる……はずでした。

でも、この日は特別でした。

おばあさんは、ぼくの前にすわったまま中空を見つめています。いえ、正確には、ぼくのうしろにある、おじいさんの位牌を眺めているのです。ぼくは、初めてのことに戸惑いました。
おばあさんは、やっぱり何も言いません。ただ、おじいさんを見つめています。じっと、見つめ続けています。
ぼくは、切ない気持ちを禁じ得ませんでした。おじいさんを見つめ、おばあさんは何を考えているのでしょうか。自分を残し、天へと旅立ったおじいさん。

おじいさんと初めて出会った日のこと。

おじいさんと初めて同じ屋根の下で過ごしたときのこと。

おじいさんと初めて子供の顔を眺めたときのこと。

おじいさんと初めて孫の顔を目にしたときのこと。

おじいさんを失った日のこと……。

長い長い時間でした。少なくともぼくにとって、この時間はとても長く感じられました。
おばあさんは、涙を流すでもなく、表情を崩すでもなく、ずっと、優しい表情のままでした。
ぼくは、短命であることを卑屈に捉えていた自分が、恥ずかしくなりました。誰かに奉仕するだけの自分の境遇を少しでも憂いたことを、恥ずかしく思いました。本当につらいのは、命が失われることを目の当たりにする側だったのです。大切な人を失うことのほうが、きっとつらいことに違いないのでした。
自分の存在が消えてしまうことよりも、大切な人の存在が失われてしまうことのほうが、はるかにつらいはずです。ぼくは、切ない気持ちと、恥ずかしい気持ちとでいっぱいでした。ぼくが毎日考えていたのは、自分自身の置かれた処遇の、その儚さばかりだったのですから。

おばあさんは、それからしばらくの間、ずっとだまったままでした。
ただ、見つめていました。でも、少しだけ口を開いて、小さな声で何かを言いました。ぼくには、その言葉はハッキリとは聞き取れませんでした。ただきっと、おばあさんは「おじいさんありがとう」と言ったのではないだろうか、そんなふうに思いました。

それから数日、ぼくの命の火は消えました。でもぼくはつらくありません。ただ次に生まれてくるときは、人間に生まれてきたいと思ったのです。

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