たとえばのはなし

たとえば私は、一度も異性にふられたことはありません。

ふったことはあります。みんな、泣いていました。

人を傷つけたことで、私は人を傷つけることの痛みを知りましたが、結局そんなものは、傷つけられた側の痛みに比べるとどうってことないわけですから、今はもうただただ、申し訳ない気持ちが心のうちにあるだけです。

たとえば私を、好いてくれる異性はいまだにいるようです。

それでも私が人を好きになることはありません。悲しいだけです。

人と共にあろうとすれば、私は私じゃなくなってしまって、そんな私じゃない私を彼女たちは好きだ嫌いだと言うでしょうから、それこそ私はもう私でいられないことの苦しさにいずれ負けて、あともうただただ、堕ちるだけです。

たとえば私は、大抵の異性の心のうちを知ることができます。

だけどもそんな能力は、なんの役にも立ちません。ほかのスキルに替えてほしいです。

人に好かれたいとか、思いを告げるべきか否かだとか、そういうくだらないことに心のリソースをいちいち消費することさえありません。そんなことは深く考えなくたってわかりますし、だいいちどうでもいいです。

それなら私は、なんのために生きるのでしょう。自分のためでしょうか。

これが不思議なもので、考えてみれば考えてみるほどに、私は私のためにではなくて、あの人のために生きているみたいです。なんでなんだろうか。わかりませんが、確実なのは、言うこと聞かないんですね。私に一切服従しないんですね。あと心のなかが読めないんですね。何考えてるのか全然わからないんですね。これほんとに。まったくわからないんですね。

私は元来、あの人と一緒にいられるのは自分だけだと思っていたんですが、よくよく考えると、私のそばにいられるのもまた、あの人だけなのかもしれません。ふりもしませんし、ふられもしませんし、必要としてはいますが、していないような感じです。言葉で説明するのは難しいですが、それはもう私の一部なのであって、いまさら別々になる必要性がない。

「あなたがボケて私のことを認識できなくなってしまっても」

「私はあなたを愛していますから、安心してボケて、いいですよ」


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